Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

無題

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朝倉彫塑館へ行った。ねこ展が開催されていたから。
朝倉文夫はたくさんの猫と暮らし、たくさんの猫の作品を作った。
全てのものは儚い。
人間も、動物も、その暮らしも、命も、時間も、何もかも。
そんな儚さに対して、人ができることはそれぞれ違うのだろう。
朝倉文夫はそれにしっかりと向き合い、作品として残した、私はそう思った。
儚い、そんな一瞬をそのままの形で、できるだけ。
愛猫たちの像は、彼のその鋭い洞察と触感の記憶との結晶なのである。
頭の形、背中の骨と丸み、しなやかな尻尾、柔軟な皮膚とその下の筋肉。
なんども撫でたであろうそれらが見事に再現された像たちはあちこちで今にも動き出しそうだった。
全てのものは儚い。
儚いけれども力強い。猫たちの躍動感も、朝倉文夫の技術も。
そして、そんな儚くも力強いエネルギーとエネルギーが重なった時の素晴らしさを私はどう表現したらいいのかわからない。
料理だって、ライブだって、恋愛だって、セラピーだって、仕組みは同じなのである。
二度とはない全てのことを思う時、私はなんという世界に生きているのだろうと圧倒されてしまう。
そして、かつての私が、どれだけのことに、時間に、人に、傲慢だったかを思い知らされるのである。
完璧にはできない。多くのことはできない。
けれども、できることをできるだけ。
私にできることはそれだけなのである。

イスタンブールの猫

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一人でイスタンブールへ行っていた。

朝はホテルのバルコニーから屋根を渡る猫を眺め、昼は街の中のいたるところにいて、ご飯をくれる優しい店員さんをちゃんと知っていてご飯をおねだりしたりなでなでしてもらうけれど気ままな猫とぐうぐう寝ている犬たちを眺め、ひたすらパン的な何かを食べて、私にしてはとても珍しく、夜は歩き切って疲れて寝ていた。

ご飯料理もたくさんあるのだが、それ以上に見たことないパン的な何かが多い街だったので、パン的な何かを食べることが多かった。

思うことは色々あった。考えることも色々あった。

聞いていた音楽は行きの飛行機で「注目のアーティスト」に入っていたamber coffmanばかりだった。

すっかり気に入ってしまって、ホテルの部屋で身支度するときも、iPhoneからyoutubeで流して聞いていた。

帰宅してからCDを買おうと思ったが、なんとレコードか、配信しかなく、CDがないのには驚いた。でも、合理的でいい方法だなと思った。

 

私は英語もまともに話せないので、トルコ語になると何が何やらさっぱりである。

ただの一言もわからない。なんだかそれが良かった。だから、覚えもしなかった。

トラム、メトロ、バス、フェリー様々な乗り物に乗って街じゅうを移動する。

私の目には何人なのかもわからない人々がたくさんいて、私もその一人であることが嬉しかった。(まあ、私の場合は見た目にアジア人なのは確実なのだが)

わからない言葉の中にいる方が、私は気が楽なようだった。

ドーハでトランジットだったが、そこではっきりそれを意識したのだった。

イスタンブールからドーハ行きにはほとんど日本人がいない。

しかし、ドーハから羽田行きには日本人が多い。

ドーハでのわずかなトランジットの時間で聞こえてくる日本語の煩わしさと意味のない会話に私はすっかり疲れてしまったのだから。

同じ国の人で同じ言葉を話すのにまるで通じ合わない人々。身振り手振りと互いにまともに話せない英語で一生懸命伝え合って笑い合う人々。言葉を話せないのに人懐っこい猫たち、おとなしい犬たち。

そんな差が否応なく浮き彫りになる。

 

日本はどこに行ってもサービスが驚くほど均一で、どこに行っても自動販売機があって、コンビニがあって、値段も同じくらいだ。

何も考えなくても「向こうから解決してくれる」作りなのだ。

社会全体が過干渉、過保護というか…

私は今回、イスタンブールの田舎の方の空港をうろうろする羽目になった。

手持ちのトルコリラを使い切りたく、空港までのタクシーにチップを出しすぎて、やべえ、カフェでは足りないレベルだとカフェの表示を見た瞬間に気がついたからだ。

色々な売店を覗くと、同じ空港にありながら、ペットボトルの水の値段が街の中の8倍なところもあったり、とにかく全然違う。

結局、全部回って、一番安いところで買ったら、おやつも買えて、一段落であった。

「自分で解決する」作りは確かに面倒だ。でも、これで私は帰りの空港で最低何リラあれば問題ないのかを一生忘れないだろう。財布にのこったのはわずか0.5リラ。

自分で考えて、行動して、覚えることをあらかじめ奪われた日本の街は快適だけれど、そこにいる人たちと私は相容れないものがあるのかもしれない。

何せ、日本語を話すのに全く通じ合えない親の元で、私は小さい頃から自分で考えて、行動して、覚えることで生き延びてきたのだから。

言葉はたくさんいらない。

私は最近、よくそう思う。

私が私の内面の整理をできる言葉があれば充分で、他者とは言葉などない方がうまくいくのかもしれない。動物にはなくても通じるのだから。

日本人の私が完璧に歌詞の意味を理解できているとは言い難いであろう、amber coffmanのすっかり気に入ったこの曲だって、音楽になっているからこそ、伝わってくるものがあったのであって、これが単なる言葉として目の前に出されたとしたなら、私はここまで気に入ったとは思えない。

私の、人々との関わり方は、親しくなければ笑顔で挨拶をするだけ、親しければ何かを食べたり飲んだりして一緒にまずいとか美味しいとか言って笑って、なんだかそれだけでもういいのかもしれないなあと思うのだった。

私はシンプルにマイペースに生きてゆきたい。イスタンブールの猫たちのように。

Neil Jung

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かつて私が暮らしていたマンションの下を通り過ぎる。

思わず、最上階の角の部屋のベランダを見上げてしまう。

私はエアコンの室外機に少し腰掛け、彼は横に立つ。

今もそんなことがどこか違う世界では進行しているのではないか。

そう思って不思議な気持ちになる。

私はどうしたらよかったのか。何を間違えたのか。

自分に問いかけていた時もあったけれど、もう、そうするまでもない。

私はどうしたらよかったのかわかっていた。できなかっただけだ。

何を間違えたわけでもない。その時はそれが最善だと思っていただけだ。

けれど、ただそれだけ、が、その後の時間の流れを大きく変えることもある。

 

私はこれからどうやって生きていくのかな。

本当はどうやって生きたかったのかな。

これまでどうやって生きていたのだっけな。

そんな疑問が巨大な湖のように私の目の前に現れて、私はそれを毎日じっと見つめている。

見つめていると、私はどこか根本的なところで生きるのをやめていたし、今もそれは進行中だと気がつく。

何もかもが割とどうでもいいのは、そういうことだった。

私は決して心が広いわけでも、大雑把なわけでも、我慢強いわけでもなかった。

単純に諦めていたのだ。

能動的に生きることを放棄していたとも言えるだろう。

今更、一体どうしろっていうんだ…と完全に途方に暮れながら、私は私の人生と相談にならない相談をしている。

 

高校生の頃、ものすごく好きだった曲を最近、またよく聴いている。

その曲はNeil Jungという。ニールヤングっぽい曲に、自分のことを他人事のようにみてユングっぽい精神分析的な歌詞にしているから、このタイトルらしい。

ニールヤングもそれほど良く知らず、ユングのことも心理学の偉い人くらいの知識しかなく、英語の歌詞もただの音にしか聞こえていない当時の私だったけれども、本当に大好きだった。

今、パソコンでこうして聴いても、落として壊れてきちんと閉まらなくなって無理やり輪ゴムで留めていたウォークマンでよく聴いてたことを思い出す。

あの、つるつるした白いウォークマンの真ん中に幅の広い輪ゴムを二重。

買い換えるならMDプレーヤーかCDプレーヤーか、とよく思っていた。

結局、私はどちらにも買い換えず、第一世代のiPodが出た時に買った。

この曲はiPodになっても、iPhoneになっても、iMacが形をどれだけ変えても、必ず入り続けている。

 

Was going nowhere
Couldn't take the pain and left it there

そう何度も歌うこの曲。私はその歌詞をあらためて聴きながら、初めて聴いたかのように、これはまるで私のようだと思う。 

行き詰まっていた、痛みをどうすることもできず、置き去りにして。

日本語にしたら、こんな感じだろうか。

私が何度も何度も繰り返し、置き去りにして諦めていたものが、目の前の巨大な湖なのだろうか。

だとしたら、この湖はひょっとして私の涙でできているのではないか。

そんなことを思う。

この湖は私の青の世界の湖と一緒なのだろう。

曲の歌詞のように、私も自分をユング的に解釈する羽目になっているなんて、不思議なものだ。そして困ったものだ。

何がどうなっているんだ。