Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

夢を見た。

私は知らない建物の知らない玄関ドアの前にいる。

しかし、私は知っている。それは彼の住む家なのだと。

少しスモーキーで少し暗い黄緑のドア。レトロな団地にあるみたいな、どこかしらかわいいドア。

インターホンを押すと、ほどなくして、彼がそのドアを内側から開けた。

私は見たことがない、アイボリーによく見えないけど胸に墨色でロゴがあるシンプルなTシャツを彼は着ていた。

みすぼらしくない程度にこなれているが、完全なる部屋着ではなく、人前にも出られる、リラックスしている時に手が伸びそうな、そんな服だ。

「ああ、お前か。入れば?」と、さも普通のことのように言われる。

そこへ、食べ物の匂いを運んでくるようにおたまを持ったままの女性が現れる。

「鍋パーティーしてたんです、どうぞ」と多少緊張した面持ちで(そりゃそうだ、初対面なのだから)、しかし、にこやかに言われる。

歳は20代前半、かなり若い。丸顔。背は低い。きれいというよりかわいい、ふわん、ぽわん、とした人である。

私は、ああ、この人が、彼のいまの彼女なんだなあと思った。

「お客さん?」とまた違う女性が言うのが聞こえる。

彼女の友達の声らしく、彼女が「うんー」とのどかに答えた。

玄関を見ればいくつかの靴。

そうだ、鍋パーティーなんだもんね、と思ったその瞬間、私は私がものすごく場違いなものであるという感覚に襲われ、なんだか泣きそうでもあり、吐きそうでもあり、とにかくこみ上げる何かに気持ちが悪くなってしまい、ドアを慌てて閉めて、玄関の外へ出て、倒れ込んでしまった。

古い建物だけれど管理は行き届いているらしく、ほこりひとつ見当たらないごくごく淡いグレーのフロアタイルを私はひたすら見つめて、頰に、手のひらにつるつるぴかぴかひんやりを感じていた。

磨くとつるつるぴかぴかになるんだよな、古いフロアタイルは…そう思っていた。

つるつるぴかぴかひんやりがしっかりと身体に浸透しきった感じがした瞬間、ふと帰ろう、と思った。

このまま帰ろう。

私は立ち上がり、エレベーターに向かうため、広い廊下の角を曲がろうとした。

ゆっくり歩きながら、これでいいのか?これが答えか?と私は自問した。答えはすぐ出た。

だめだ、と。私は話さなくてはいけない、と。

振り返って、玄関前に戻り、息を吸って、ドアを開ける。

開けたら、ドアノブに手をかけた彼がいた。

「あ」と同時に声が出る。

「来ないから、どうしたのかと思って」と彼は言う。

帰ろうとした、と私は正直に言った。

でも話さなくちゃいけないと思って…と口にした瞬間、私は涙が溢れてきてしまって、それに自分でもびっくりしてしまい、しゃがみこんでしまった。

彼もまたびっくりしたようだが、ほら、と私の手を引き「向こうで話すか」と廊下の隅に向かっていく。

8分音符を反時計回りに90度回転。

丸の部分が部屋。棒の部分が広いホールのような廊下。羽がエレベーターに向かう廊下。

ホールのような廊下は棒状ではなく、8畳くらいある。

8畳の隅は天井から私の腰くらいまである、幅は120cmくらいの大きな窓があった。

それは結露して、冬のバスの窓のように曇っていた。

窓に近づくと、開けてみたくなった。

ロックをはずして、開けてみると、大きな窓が一面、ぱかりと右ななめに押して開くタイプだった。

気圧が一瞬で変わり、ぐわんと外の冷たい空気が音を立てて入り込む。

ぐわん、はすぐにふわあと拡散し、外と中の温度が混ざり合う。

意外なことに、開けたら、そこには、味気ない屋上のようなちょっとしたテラス(なんだろうか?しょっちゅう誰かが出入りしている形跡はないような感じだが)が広がっていた。

その奥は、都会の夜の風景だった。

ずらりと並んだマンションやビルの灯りが見える。

ここは田町とか品川あたりなんだろうか、あるいは横浜だろうか、と思うような。

すごい、綺麗だね、と思わず、口をついて出た。涙はもう出ない。風が頬を乾かすように吹くのを感じる。

彼は何も言わなかった。

代わりにひょいっと足を上げて、窓のさんにのぼり、テラスに飛び降りた。

私は若い彼女だねと言った。

「ああ、なんか俺のことを好きだって言うから」

相変わらずだな、この人は、と私は苦笑する。

「でもなんか違うの、なんていうか…」

おままごとっぽい、私は彼の言葉を継ぐように言った。なんとなくそう感じたのだ。

「そう。でも、それでいい。若いときはみんなそんなもんでしょう」と諦めたように彼は言う。

そうかもね、と答えながら、私は夜景を見ていた。

こんなに綺麗に見えるもんなんだなあと感心しながら。

「ところでさ、俺、2021年にすげえ幸せになるらしいんだよ。俺だけじゃなくて俺の周りもみんなハッピーになるんだって。でも何をしたらいいんだかわからないから、毎日カレンダーを見て、考えてるんだよ」

テラスでカレンダーのつもりなのか、私に背を向けたまま、両手を動かして四角を空に描きながら彼はそう言った。

彼は振り返る。

「幸せらしいよ、超しあわせ!」

そんなことを言い続けてる彼は、私の目からはもはや充分に幸せそうに見えた。

「何したらいいと思う?」

なんで私がお前の疑問に答えなきゃならんのだ…と思いながらも、咄嗟に浮かんだのは、彼女を幸せにしてあげることなんじゃないか、結婚することなんじゃないかということだった。

でも、現実的には間違いなくそうだろうと思いながらも、ものすごく何かが違う気がした。

以前の私なら、迷いなく、そう答えていただろうけど。

何かをしようとしなくてもいいんじゃない?

私は結局、そう答えた。

何かをしようとしなくてもいい。

何かをしようとしないほうがいい。

今みたいに、彼が普通にしてるだけで、幸せとはなにかを考えてると話してるのを見てるだけで、私は幸せな気分だから。

最初からそれでよかったのだ、それでいいのだ、なにも変わらなくても、なにかを変えようとしなくても。

そこでぱちりと目が覚めた。私はびっくりした。私がぽろぽろと涙をこぼしながら泣いていたから。

 

起きて、暫く考えた。

私は、まず、彼はもう幸せなのかもしれないなあと思った。

夢の通りなのかもしれない。違うかもしれない。それはわからないけど。

かつて、私は彼が幸せではないように見えた。

なぜ、どうして。

そう思ったのが勉強のきっかけだった。

私は自分で言うのもなんだが、すごく勉強したと思う。

臨床心理士になれるわけでもないのに、その勉強はある意味では取り憑かれたようだったし、いまもまだ取り憑かれているのかもしれない。

そう思うと、なんだか途端に馬鹿らしくなったし、もう勉強しなくていいか…という気になった。

講座や勉強会やセミナーやワークショップにかかるお金で好きなところに旅行したり、好きなものをもっと買ったりしてもいいんじゃないか、と。

彼に会う前の私のように。

そのふと出てきた思いはなんだか、彼がいなくても、勉強を続けるのか?と何かに、誰かに問われているのと同義のような気がした。

 

私は知らないことを知って、頭の中の知識とその知れたばかりの知らないことだったことが、小さなマグネット同士がぱちりと結びつくようになる瞬間が好きだ。

だから、もともと、勉強は嫌いなほうではない。

しかし、彼に会ってから始めた心理学においては、そのぱちりがたくさんたくさんあった。

そして、そのぱちりによって、ぱらぱらと花びらが散る。

その花びらは彼の思い出なのである。

あれはそういうことだったのか、とそこで私は初めて彼を理解できるのだ。

私は純粋な知識欲としての、ぱちりを求めているのではない。

その花びらが見たいのだ。

春の空を螺旋を描いて散る桜の花びらのような儚いそれを。

記憶の破片をそうして集め続け、もういまはない、かつては確かにあった何か、私が完全に見逃していた何かを見届けなくてはならない。

そんな思いに取り憑かれているのであって、勉強に取り憑かれているのではないのだ。

 

私はどうしたいのだろう。どうしたらいいのだろう。

私の勉強の動機は実に個人的なことであり、はっきり言って、彼に関連しない部分についてはどうでもいい。

たとえば心理学でもコーマワークとかは全く興味がない。

もっとはっきり言えば、彼と私以外の他人はどうでもいいのである。

でも、彼は最初から、なにかを必要としていたわけではなかったのかもしれないし、今はどこかで幸せなのかもしれない。

そういう当たり前の前提を改めて考えても、いや、違うな、わかっていたようでわかりたくなかった前提を考えても、尚、私は勉強したいのだろうか?と問われると私は途端にわからなくなる。

したくない気がしてくる。

なんかもう疲れた、と。

頑張っても頑張っても答えが見えない。

そして、そのたびに私のどこかが死ぬような、そんな感じが拭えなかった。

疲れ切った私を、違う私が引きずり回してるような、そして、それをただ眺めてる私がいるような。

 

私はどうしたらいいか、ずっとわからない。

そのわからないはどんどん大きくなり、大きくなるほど、なにもできなくなり、なにかをするのが怖くなる。

勉強をやめることも続けることも。

それでも、続けるのは、現実逃避としての依存なのか、本当に必要性があることなのか、それもわからない。

夢が、単純に、彼に会いたいという願望を表した願望夢なのか、何か意味があるのか、それもわからない。

全てのわからないが、まるで自重に耐えきれなくなった屋根の雪が雪崩になるように私のなかに押し寄せてくる。

しかし、私はそこでぽっかりと無なのである。

全ては夢のような、不思議な感覚になる。

そして、決まっていつも、彼も幻想なんじゃないか、夢なんじゃないかと不安になる。

そんなときは彼がプレゼントにくれた本を読む。ぱらぱらと。

大丈夫だ、現存してる、そう確認する。

この前、なんとなくその本に紐を巻いた。

ふと見ると、台北龍山寺に行ったときに貰った紐が棚から落ちていたので、なんとなくぐるぐると。

これでなくならない、と思った。

そんなことしなくても、なくなるわけがないことはもちろんわかる。

何故なら、ちゃんとその本は私の本棚にあるのだから。

でも、なんだかどこかに簡単に飛ばされていってしまいそうな気がしてしまうのだ。

本当は飛ばされていってしまいそうなのは本ではなくて、私なのかもしれないが。

無題

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朝倉彫塑館へ行った。ねこ展が開催されていたから。
朝倉文夫はたくさんの猫と暮らし、たくさんの猫の作品を作った。
全てのものは儚い。
人間も、動物も、その暮らしも、命も、時間も、何もかも。
そんな儚さに対して、人ができることはそれぞれ違うのだろう。
朝倉文夫はそれにしっかりと向き合い、作品として残した、私はそう思った。
儚い、そんな一瞬をそのままの形で、できるだけ。
愛猫たちの像は、彼のその鋭い洞察と触感の記憶との結晶なのである。
頭の形、背中の骨と丸み、しなやかな尻尾、柔軟な皮膚とその下の筋肉。
なんども撫でたであろうそれらが見事に再現された像たちはあちこちで今にも動き出しそうだった。
全てのものは儚い。
儚いけれども力強い。猫たちの躍動感も、朝倉文夫の技術も。
そして、そんな儚くも力強いエネルギーとエネルギーが重なった時の素晴らしさを私はどう表現したらいいのかわからない。
料理だって、ライブだって、恋愛だって、セラピーだって、仕組みは同じなのである。
二度とはない全てのことを思う時、私はなんという世界に生きているのだろうと圧倒されてしまう。
そして、かつての私が、どれだけのことに、時間に、人に、傲慢だったかを思い知らされるのである。
完璧にはできない。多くのことはできない。
けれども、できることをできるだけ。
私にできることはそれだけなのである。

イスタンブールの猫

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一人でイスタンブールへ行っていた。

朝はホテルのバルコニーから屋根を渡る猫を眺め、昼は街の中のいたるところにいて、ご飯をくれる優しい店員さんをちゃんと知っていてご飯をおねだりしたりなでなでしてもらうけれど気ままな猫とぐうぐう寝ている犬たちを眺め、ひたすらパン的な何かを食べて、私にしてはとても珍しく、夜は歩き切って疲れて寝ていた。

ご飯料理もたくさんあるのだが、それ以上に見たことないパン的な何かが多い街だったので、パン的な何かを食べることが多かった。

思うことは色々あった。考えることも色々あった。

聞いていた音楽は行きの飛行機で「注目のアーティスト」に入っていたamber coffmanばかりだった。

すっかり気に入ってしまって、ホテルの部屋で身支度するときも、iPhoneからyoutubeで流して聞いていた。

帰宅してからCDを買おうと思ったが、なんとレコードか、配信しかなく、CDがないのには驚いた。でも、合理的でいい方法だなと思った。

 

私は英語もまともに話せないので、トルコ語になると何が何やらさっぱりである。

ただの一言もわからない。なんだかそれが良かった。だから、覚えもしなかった。

トラム、メトロ、バス、フェリー様々な乗り物に乗って街じゅうを移動する。

私の目には何人なのかもわからない人々がたくさんいて、私もその一人であることが嬉しかった。(まあ、私の場合は見た目にアジア人なのは確実なのだが)

わからない言葉の中にいる方が、私は気が楽なようだった。

ドーハでトランジットだったが、そこではっきりそれを意識したのだった。

イスタンブールからドーハ行きにはほとんど日本人がいない。

しかし、ドーハから羽田行きには日本人が多い。

ドーハでのわずかなトランジットの時間で聞こえてくる日本語の煩わしさと意味のない会話に私はすっかり疲れてしまったのだから。

同じ国の人で同じ言葉を話すのにまるで通じ合わない人々。身振り手振りと互いにまともに話せない英語で一生懸命伝え合って笑い合う人々。言葉を話せないのに人懐っこい猫たち、おとなしい犬たち。

そんな差が否応なく浮き彫りになる。

 

日本はどこに行ってもサービスが驚くほど均一で、どこに行っても自動販売機があって、コンビニがあって、値段も同じくらいだ。

何も考えなくても「向こうから解決してくれる」作りなのだ。

社会全体が過干渉、過保護というか…

私は今回、イスタンブールの田舎の方の空港をうろうろする羽目になった。

手持ちのトルコリラを使い切りたく、空港までのタクシーにチップを出しすぎて、やべえ、カフェでは足りないレベルだとカフェの表示を見た瞬間に気がついたからだ。

色々な売店を覗くと、同じ空港にありながら、ペットボトルの水の値段が街の中の8倍なところもあったり、とにかく全然違う。

結局、全部回って、一番安いところで買ったら、おやつも買えて、一段落であった。

「自分で解決する」作りは確かに面倒だ。でも、これで私は帰りの空港で最低何リラあれば問題ないのかを一生忘れないだろう。財布にのこったのはわずか0.5リラ。

自分で考えて、行動して、覚えることをあらかじめ奪われた日本の街は快適だけれど、そこにいる人たちと私は相容れないものがあるのかもしれない。

何せ、日本語を話すのに全く通じ合えない親の元で、私は小さい頃から自分で考えて、行動して、覚えることで生き延びてきたのだから。

言葉はたくさんいらない。

私は最近、よくそう思う。

私が私の内面の整理をできる言葉があれば充分で、他者とは言葉などない方がうまくいくのかもしれない。動物にはなくても通じるのだから。

日本人の私が完璧に歌詞の意味を理解できているとは言い難いであろう、amber coffmanのすっかり気に入ったこの曲だって、音楽になっているからこそ、伝わってくるものがあったのであって、これが単なる言葉として目の前に出されたとしたなら、私はここまで気に入ったとは思えない。

私の、人々との関わり方は、親しくなければ笑顔で挨拶をするだけ、親しければ何かを食べたり飲んだりして一緒にまずいとか美味しいとか言って笑って、なんだかそれだけでもういいのかもしれないなあと思うのだった。

私はシンプルにマイペースに生きてゆきたい。イスタンブールの猫たちのように。