Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

悪魔が怖い

昨日はカウンセリングだった。

勉強したこと、それによって考えたことを話した。

次に問題を話した。

私はこのままのルートを行けば、なんらかのセラピストの資格を取るであろうということだ。

私に会った時から、先生はカウンセラーに向いていると言ったくらいなので、先生にはそれは自然なルートに見えるのかもしれない。

確かに私は昔から、他人の表面的でない部分がみえる、わかることが多かった。

でも、昔は自分だけがみえる、わかることとわからなかったから、なんで?これはこうだよね?と指摘して怒られたり、嫌われたりのほうが多かった。

彼に会った時もそうだ。私が最後に彼にしたこともそうだった。

その後、私はそういう私に気付き、勉強を始める中で、相談をうける人やワークをし合う人の中に、彼の中にあった素敵な片鱗に似たものをみるようになった。

必ずみえる。

それが見えるから、私はどうしたって、耳を傾け、心を寄せて、話を聞いてしまう。

それが「セラピスト向き」に見えるのだろう。

しかし、これは私にとって、つらいことなのである。

 

できれば忘れてしまいたい。

いや、すっかりからっぽにはならなくても、あはは、そんなこともあったね!と言えるくらいにはなりたい。

私はそう願っているのである。風化。

ところが、私がいましていることやしようとしていることは風化とは程遠い。

たくさんの薔薇の花びらの香りを嗅いで、夢で見た薔薇を思い出し、その度に夢で見た薔薇がまたはっきりと見えてくる。

私には勉強はそんな作業なのである。

もはや現実にはない薔薇を思い出すのは苦しいことだ。

そして、その薔薇の、その香りは、私が本当に欲しかったものだったわけだから。

私にとっては残酷なことです。

私はそう言って泣いた。偽らざる本心だ。

………そうだよなあ。本当にとんでもない出会いとしかいえないというか…。

私は果たして回復しているのでしょうか。

していると思うよ。

そんな会話をした。

帰りに眠れていますか、と聞かれ、ぎくりとした。

昨夜は眠れませんでしたと正直に言った。

 

昨日書いた映画の「怒り」を見てしまったからだ。

それで、カタカタカタカタと頭の中のルービックキューブがめまぐるしく回転しはじめてしまったのだ。

「怒り」で綾野剛が演ずる直人はお墓の話をした。

ゲイのパートナーに対し、同じ墓には入れないけど、隣だったらいいよね、と窓の前で外を見ながらいうのである。

それが、私の記憶に直撃だった。

ある日、彼は私のメモ帳とペンを見つけると、さらさらさらと落書きをしていた。

なにこのペン、すごい書きやすい!

ああ、それ、書きやすいでしょ

楽しい!

彼はまるで文房具屋さんでペンの書き味をためすときのようなぐるぐるとした円をたくさん描き始めた。スクリブル。

その完全なる落書きの中に何かを見出したのか、彼は更に書き込んでいた。

その2枚の作品を並べて彼は聞いてきた。

ねえ、これ、なににみえる?

ん?んー…なに?こっちは城?

そう

すごいうまい、私は城描けって言われてもこんな風に描けない でも、もう一枚は全然わかんない

2つのお墓があるようにみえない?

ああ、見える、ほんとだ

そんな話をした。

私は今もそのメモの切れ端を持っている。

2つのお墓のことを言う彼に似ている綾野剛の横顔で私の脳はすっかり混乱したのだと思う。

たぶん、幾つか引いた線からできた直方体が彼にはお墓みたいにみえたんだろう。

だから、線を足して、足して、お墓にしたのだろう。

ただそれだけのこと、たまたま。

しかし、以前読んだ、アートセラピーの本にあった希死念慮がある人の描いた絵をみたときに、私はそれを思い出していた。

全然違う絵だよ。違う違う。見返してみても違う。

でも、なにかがざわざわするのだ。

 

「怒り」のなかの綾野剛は持病により、死が近い人だった。

それをパートナーに告げてはいなかったけれど。

だからこそ、お墓の話は映画のなかで大きく深く余韻となる。

死が近い。彼は健康体だが、やはり心性的には普通の人より、ずっと死が近いのだろう。

私たちはよく狭いベランダで話をした。

イギリスのハーブティーが入っていた手のひらにのるほどの小さな平べったく丸い水色の美しい缶が彼の灰皿がわりだった。

それがいつも傍らにあった。

4歳の時に彼は事故にあったという。

本人曰く、奇跡的に助かったそうだ。

その事故のせいで鼻の骨がなくて、鼻が詰まりやすい

へー、見た目ではわからない

あのとき死ねばよかったのにな、そんな人生もあったんじゃない?

彼は私の横で声色ひとつ変えずに淡々と言った。

死んでたら、いまここにいないね、死ななくてよかった

うるせーよ、そういって彼は私の腕をひっつかみ、プロレスの技をかけようとした。

私はプロレスはやだー!とするりと抜けた。

 

私はいつも、なにも、全然わかってなかった。

彼といる時、もっと、いまみたいに、わかっていたら。

私の手が届く時に、彼の中にあるなにかに、そっと触れることができていたら。

結局、私は彼の中のなにかを踏みにじっただけにすぎないのではないか。

そういう思いが私を襲う。

そういう思いが私を勉強に駆り立てる。

でも、結局、私は最初から失敗していたのだ。

どんなに勉強しても、たとえ、どんなにたくさんの人の役に立つことになろうと、私は私が一番欲しかったものをくれた人の役に立つことはもうできない。

それが、私をどうしたらいいのか、わからなくさせるのだ。

何もかもどうせ意味がないよ。あんたバカじゃないの。

私にそう囁く、私の中の悪魔と、私は戦っている。

負けそうだ。いつ負けてもおかしくない。

私は崖っぷちにいる。崖の向こうは死だ。

負けたら、一生後悔をするだろう。

表面的にはどうあれ、私は死んだまま生きていくことになるだろう。

これは絶対に負けられない戦いなのだ。

私は冷静に観察し、あらゆる情報を分析しなければならない。

いつもそうであるように。

絶対に見えてくる、わかってくる、動きも特徴も。

それはたとえ、私の中の悪魔を相手にしようと同じだ。

同じ。確実に同じ。

そのはずなのだけれど、私はどうしてこうも不安なのだろう。自信がなくなってしまうのだろう。できない気がしてきてしまうのだろう。

怒り

吉田修一が原作の映画「怒り」のDVDを借りてきたので見た。

見たいなと思いながら、読んでみようかと思いながら、結局、それをしてこなかったのだが、ようやくである。

私はあまり怒りを感じない。

それは抑圧されているからなのか、すぐに諦めてしまうからなのか、わからない。

そんな時期が長くあった。

怒れたらよいのかもしれない、と検索している頃にこのタイトルに出会った。

 

解離性障害複雑性PTSDも怒るべきところで怒れず、悲しむべきところで悲しめず、そんなことが降り積もった結果なのではないかと私は思う。

そんなふうに降り積もったものたちを人はトラウマと呼び、爆発処理班が不発弾を処理するかのごとく、セラピーをするわけである。

しかしながら、私にはやはり外側に向かう怒りはないのだ。

家族にも、彼にも、誰にも。

それは怒りの感情をスプリットしてるからですよ、解離してるからですよ、と専門家は言うだろう。

私にだって怒りはあるはずだ、と探してみたら、確かにあった。

しかし、それはすっかり形を変え、基本的に私を静かに守っているのだった。

 

私は家族のすさまじい怒りに触れながら育った。

もはや隠されたりオブラートでくるまれたりすらなかった怒りはありとあらゆる面に表出し、私はそれに恐怖した。

と、同時に私はその表出に確実に怒っていた。

激しく嫌悪し、見下していた。

あなたのその怒りは私のものではない、と、恐怖の中、いつも私は怒りを睨みつけていたわけである。

でも、私は戦わなかった。そこで同じことをしても無駄だと知っていたからだ。

繰り返される怒号、繰り返される無視、繰り返される繰り返される繰り返される。

そう、戦えば、繰り返されることもまた充分すぎるほど、知っていたのである。

私の怒りは、外に向かう攻撃は、こうして、きっちりしまいこまれ、すっかり私を覆った。

私は怒りと攻撃のエネルギーを攻撃されても平気なシェルターを作ることに換え、解離していった。

 

私は私の解離を嫌っていない。

困ったなと思うことは多い。

過覚醒、過緊張、慢性的な疲労感、ヒステリー球、左腕の痛み、不眠、生理不順というには不順すぎて、ないも同然のような生理、(婦人科にいっても、いつも同じことの繰り返しで原因も不明であった。いまでは過緊張が原因とわかっている。)

どれも大変なことだ。

特に最後のものは原因がわかると同時に私の身体はまるで子孫を残したくない、存在していたくない、生きていたくない、人間でいたくないと言っているようにも思われ、私はかなりダメージを負った。

でも、できる限り、他者を攻撃をしないことを選んだ私の精神をいま、私は心から尊敬してもいる。

 

彼の話をしよう。

彼は射精をしない。できないのだという。

昔からそうなの?と聞く私に、彼はそんなわけないでしょと言う。

特殊な性癖があるの?と普通なら聞きにくいこともあっさり聞く私に、彼はおまえ俺をなんだと思ってんのと笑う。

あなたのセックスについて女性たちはなにかいうの?昔の彼女には家から追い出されそうになったりしたな

いかないセックスはどんな感じ?詩的な感じ

あなたはいかないのに女の人がいくのはどんな感じ?こんな俺でも役に立ってるんだなあって感じ

ふうん

そんな会話をセックスのあとに私たちはした。

私は彼のなかには絶対的なルールがあるのだなあ、と思いながら聞いていた。

このとき、私はまだ、私の生理不順の原因は知らなかった。

でも、私は彼と同じなんだなと身体レベルで感じていたのだろう。

私は最初の頃、何故か彼とセックスをするたびに、というか、その最中に、生理になるのであった。

おかしいなあ…こんなこと今まで一度もないのになあとただ不思議に思っていたが、私は彼といる時、安心していたのだと、ある時、ふと気付いて、号泣した。

彼の過去の女性たちがどうであったかはわからないが、たぶん私とは全然違う感想だろう。

私は振り返ってみれば、彼にとても丁重に扱われていたのだと、そう思う。

彼がそうしていたと自分では感じていなかったとしても、だ。

 

彼の怒りは、私とは少し違う。

彼は母親の精神的な病の根底にはさみしさがあるのがわかる、だからなんとかしてあげたい、でもなにもしてあげられない、と言っていた。

彼はなにもしてあげられない自分に怒りを持ち、幸せになることを禁じているのだろうと私は思う。

なにもできない自分は存在してはならない、役に立たねばならない。

私が聞いたエピソードは他にも幾つかあるが、全て同じ構造で、このルールの方向を指し示す。

でも、彼の怒りは私にはなんて優しく、なんて強いのだろうと見えた。

その片鱗はセックスするより前から、私には見えていた。

彼はなんで結婚してないんだろう?

なんでお父さんじゃないんだろう?

こんなにお父さん向きの人、見たことない。

私は彼と話をするようになって、すぐにそんな風に思っていたから。

そんなことを私はそれまで誰にも思ったことがないのに。

私は彼の怒りが形を変えたものもまたとても尊敬していて、多分そこが一番好きなのだと思う。

それ自体が彼をがんじからめにしていたとしても。

ねえ、俺のなにが好きなの?

エネルギーみたいなもの

なんだよそれ

ん〜、なんなんだろう?

そんな会話をしたときには「なんなんだろう?」だったことが今更わかっても、もう遅い。

 

「怒り」の主人公は解離している。でも記憶はあるようだから、解離性障害ではなく複雑性PTSDのほうが近そうだ。

フラッシュバックもしている。

誰かの気持ちを読むのがとても得意だ。

きっと被虐なのだろうなあと感じさせる。

もし、私や彼が、怒りをそのままに持っていたら、主人公と大差のない人生だったと思う。

怒りと持ち前のある種の高潔さの化学変化によっては、私たちは主人公のようにもなり得たわけである。

でも、違う。

私はそのことを嬉しく思う。

そして、とても悲しくも思う。

結局、私たちはこの自らの素晴らしい選択を生かすことができておらず、いまだ、現実をさまよっているからである。

どうしたらいいのか?

まだ答えは出ない。

でも、過去の私が、彼の好きなところをわからなかったのにも関わらず、いまの私はわかるように、未来の私はこの問いの答えもわかるようになるのかもしれない。

それをわかったとき、私はやはり「もう遅い」と思うのだろうか。

スイセイの話

土曜日はメール相談メンタルサポーター養成講座なるものに行った。

日曜日はトランスパーソナル学会の勉強会。

私は実際の人や状況を観察することを通して得たものによって、考えるタイプなので、とにかくよくどこかに行く。

日常的に強い緊張感を持っているがために、初めての場所は例外なく、ものすごく疲れるが、この「体感する」ことは私にとっては重要なことなのだ。

私のなかには、できる限りひとりでいたいという強い欲求と同時に典型的なフィールドワーカー的な欲求がある。

矛盾したそれらのために、私はどこかへ赴くときや帰るときに風景を見ながら「なぜ私はこんなところに…」と毎回思う。

だからなのか、居住している東京都のなかとはいえ、全く知らぬ駅に降り立つたびに、自分で確かに公共の乗り物に乗ってきているし、自分で申し込んだ会なのにもかかわらず、「運ばれてきた」という感覚しかない。

 

運ばれてきた。

そう思う時に、私は目には見えない流れにいる気がする。

私の意思やお金や時間などはあくまで補助のうきわのようなものだ。

私は流れのなかでわずかな意思を持ち、お金や時間を使っているだけに過ぎない。

そもそもの流れはどこからか来ている。

どこからかはわからない。どこに向かうのかもわからない。なんなのかもわからない。

ただ、そのような流れなのである。

忌々しいとも悲しいとも、快適だとも楽しいとも思わない。

流れているんだな、という感覚があるだけ。

私は流されながら、それを見ている。

以前よりはその流れは激しくなく、私は溺れそうになったり、溺れて記憶を失ったりはしていない。

その点が大きく違うが、流され、なにもかもがだいぶ遠くなってしまった。

本当になにもかも、だ。

 

私は何度も彼のことを書く。

しかし、それはだいぶ遠く、もはや見えないことである。

実際にあったことなのかも、自信がなくなるほどだ。

彼だけではない、家族や旦那さん、あらゆる知り合い。

皆、生きているが、私にはえらく遠いものとなってしまった。

彼以外はもともとそれほど近くもなかったのかもしれないが、なにやらますます、どんどん離れてしまっているなあと思うのである。

人は皆、無意識ではつながっているといわれるが、それはプラネタリウムで言われる最初の言葉のようなものだ。

「宇宙にはたくさんの星があります」

私たちは星なのである。

太陽系のようにいくつかの星がいくつかのルールでまとまる。

それは家族だったり、会社だったり。

 

冥王星はいまは太陽系ではないのだと言う。

冥王星の軌道は他の太陽系の星たちとはだいぶ違い、太陽系とはいえぬ、ということになったらしい。

太陽系の外には冥王星のような小さな星は1000個以上あるそうで、冥王星は太陽系の星たちより、1000個以上の星たちのほうに近い性質なのだという。

私は自分が冥王星みたいだなと思う。

いかにも太陽系っぽいようでありながら、軌道はいつもずれており、どこか変な印象で、属する場所が違う感じがしていたら、本当に太陽系とは違った冥王星

私にとって、家族やかつての友達とは、まさに冥王星にとっての太陽系のような感じなのである。

 

あるとき、彼は唐突に、俺は冥王星で、お前は水星だと言った。

私は完全に「???」となった。

なにを言ってるんだ?

結局、彼がこのとき、なにを言っていたのか、言いたかったのか、私はいまでもよくわからない。

彼は天体に詳しいわけでもないし、占星術なんて信じたこともないだろう。

私は、たまにこのことを思い出して考える。

私も冥王星だと思うんだけどなあ、と。

そして、私の軌道周期はどのくらいだろうか、とまで考える。

冥王星は248年中20年は海王星よりも太陽に近い軌道だ。

私の軌道もそんな風にして、ぐるりとまわれば、また太陽系と近くなることはあるのだろうか。

いま、ふと、ここまで書いて、彼の言ったスイセイを、私はいままでずっと水星だと思っていたが、彗星だったのだろうか、と思った。

考えてみれば、標準語では水星も彗星も同じイントネーションだ。

冥王星より外縁の彗星ならば、二度と太陽に近づかない周期を持つものもある。

離れてゆくのみで観測すらもできなくなる。

そうか、彗星、なのだとしたら、彼は正しいのかもしれない。

私は冥王星の近くを通り過ぎた彗星、そういうことを彼は言いたかったのか?

 

私は人々が私以外の人と普段どのような会話をしているのか、知らない。

基本的には天気や時節、ニュース、スポーツ、仕事、趣味、旅行あたりがメインだろうと思っている。

親しくなれば恋愛や家族などにまつわる話もするかもしれない。

私はそれらを話されるので、聞いてきたし、必要なときには私も話した。

しかし、彼の話は、時として、上記のような不思議な、本当に不思議としか言いようのない話であった。

彼がエメラルドで、私がギベオンだと言われたこともある。

私はギベオンを知らなかった。

ウルトラマンとかに出てくる怪獣かなと思ったが、調べたら隕石であった。

なんで、そんなこと知ってるの?と次の日聞いたら、知らないと言う。

お前はなにを言ってるんだ、と。

それは私の台詞のはずなのだが。

私には彼の話はいつも興味深く、でも、なにが言いたいのか、よくわからなかった。

私は気になったことは忘れないたちだ。

彼は確実にそう言った。夢ではない。

でも、なんだか本当は全部がそもそも夢だったのかもしれないような気もするのだ。

よくわからない話。よくわからない彼。

よくわからないから、私は調べ始めたのである。

調べると、不思議なことに彼だけではなく、なにもかもからどんどん離れてゆく。

そして、また不思議なことに離れるとわかることが増えるのである。

 

私はどこへゆくのだろう。

流されるように、ただひたすら軌道を進むように、どこかへ向かっている。

わかることをわかちあえる人は実生活では一人もいない。

ここに少しを書くことで、互いの光を観測し合う、同じような外縁系の星の人々が現れたのみだ。

私は、そうして、たくさんの情報を抱えながら、咀嚼しながら、なんとか進んでいる。

少し前、冥王星の写真をニューホライズンズが撮った。

その写真の冥王星にはハートが浮かんでいた。

冥王という名の割にかわいらしい。

冥王という名の割に月より小さい。

そんな冥王星を思い出すことは私が進むことなのである。

現実には私は彼に会う前と変わらぬ生活をしながら、現実ではないところではなにもかもから離れて行っている。

これは果たして回復なのだろうか、かえって悪くなっているのではないか、と思うこともある。

でも、彗星の軌道は誰も知らない。観測もしない。

だから悪くなっているとは限らない、そうとしか言えない。

彗星はただ進む。宇宙の摂理として。