Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

ふたつめ

昨日は新幹線移動で寝れるかなと思いきや、眠れず、変性意識に入ってしまい、エネルギーを使ったので、夜、寝たときの記憶がなかった。

一度、悪夢を見て起きてしまったので、もう一度寝たら、また悪夢を見てしまった。

悪夢の豪華二本立てである。

とにかく、この悪夢さえなければ、暑くなく寒くなく、私は秋にならいくらでも眠れる気がするのにもったいないことだ。

私が昨日の変性意識状態において考えていたこととは自分の解離についてである。

私の解離はちょっといろいろ検索しているのだけれど、同じような事例をまだ見つけることができていない。

私の場合は「人格」というより、「自己の意識」においてだという感覚が自分の中ではとても強い。

解離とは精神分析家のジュネの言葉からのようだが、同じ症状をフロイトは二重意識と呼んだ。

私にとってはこの二重意識という言葉の方がしっくりくる。

 

これが正しいのかわからないが、説明するために、私なりの「感じ方」として、説明するならば以下のようになる。(*正しい意識名ではないかもしれないけれど、捉え方としてわかりやすいので)

潜在意識と顕在意識を右と左の両極に置く、その真ん中にはかなり広いスペースの中間の意識ゾーンがあり、そこを変性意識とする。

通常はそれぞれの意識というのはわりとかちっと分かれている(んだと思う)。

私の場合も潜在意識はやはり通常の人と変わらず、行くことが難しい。

しかし、それ以外はグラデーションのようになっており、私は変性意識にはわりと自由自在に行けてしまうというか、たぶん、ほとんどの場合、その意識状態でいることが多い。

意識が飛ぶ、という表現があるが、私の場合は飛ぶのではなく、ふわふわと漂う感じがぴったりくるかなあ。でも強風がくると飛ばされてしまうのには変わりはない。

顕在意識寄りの私、これはペルソナともANP(あたかも正常に見える人格部分: apparently normal parts of personality:日常生活をこなす)ともいえるだろう。

潜在意識寄りの私、つまり今までに「小さな私」として書いて来た彼女、これはEP(情動的人格部分:emotional parts of personality:心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている)だろうと思う。

で、その真ん中のだいぶ広いゾーンの変性意識状態とは両方が混ざっている状態だ。

 

潜在意識寄りの私の得意技は観察である。これは親の様子や自分の環境を常に観察せねばならなかったからだろうと思う。これは本当に小さい時に身につけたようである。

顕在意識寄りの私の得意技はデータ収集と分析と実務である。早々に我が家はなにか違うと気付いたために、友達や本やドラマ、映画から情報を取り入れて世間に順応していかねばならないと気付いたわけだ。しかしそこに偏りがあると厄介であるという理由で収集したデータを分析して最適化をはかる、この一連の行動が必要だったからなのだろう。これは成長しながら身につけたのだろう。(まあ、みんな多かれ少なかれそうなのだろうけれども、私は特化しすぎたんだろう)

で、変性意識にあるとき、私はこの得意技の両方を使える。

MacのパソコンではMacOSとWindowsOSの両方が動くけれども、もしふたつが同時に動くと、パソコンのワーキングメモリはたくさん必要だ。

それと私に起きていることはよく似ていると思う。

私という身体で顕在意識と潜在意識のふたつの意識が動いているときがあるのである。

この短所はとても疲れることだ。そして、その間はまともな日常生活ができない。かなり深い集中(まさにトランス状態)に入ってしまうので、日常生活用のワーキングメモリも使われるのだろう。

長所は仕事や勉強においては有利な部分があることだろう。

実際、私がしていた仕事は「観察、データ収集、分析、実務」だった。

 

これらが物事、例えば仕事でしていたデザインやカラーコンサルタントやウェディングコンサルタントに向けられるときというのは本当に有益だし、生活においても料理や家電選びなどにおいて有益だ。

しかし、私の場合、それは身近な周りの人々にも向かってしまう。

その時、私が見ている部分は通常、人が感じる範囲ではない部分に及んでいるらしい。

それを私は特別なこととも思っていないし、自分にとって当たり前だったので、みんなもそうだろうと思って、口に出していた。

そうすると人々の反応は攻撃、逃走のいずれかとなる。恐怖反応だ。

小さい頃は本当に意味がわからなかった。

しかし、大人になっても、私はそのような状況の際に未だになす術を持たない。

必死に、アサーティブに説明をするも、相手はもっと怒り出すか、逃げるばかりである。

昨日は心理学を勉強しはじめてから、蓄積された情報が腑に落ちてきたことで、そのパターンを理解できたのだ。

そのパターンとは、相手側がなんらかのきっかけで私のとの間に「投影性同一化」を起こしてしまう。ただ、私はそれが起きているとわかるので、通常の反応(理不尽な怒りに対して、こちらも怒る、困惑するなど)は示さない。更に説明して、違いますよ、本当はこうではありませんか、と冷静に言うものだから、相手は更に恐ろしくなり、更なる攻撃(大抵は私を狂っているとか、変わっているとか、理解できないという言葉で排除しようとする)か逃走を試みる。

私はそのたびに非常に不安定になる。何でこんなふうになるの、何が起きているのかわからない、私はなぜ突然、嫌われてしまうの、と思い悩んできた。

しかも、いつなにがそれを起こすのかは予想できないし、回避も出来ないのだ。それは相手の心の中にあるものだからである。

これは私の人生において、引っ越しの回数以上、いや、何倍あるかわからないほどの回数のショックを与えてきた。

私は常に人といるときに緊張をしているし、怖いという感じを消せないのはそのせいだ。

これはもはや完全に複雑性PTSDといえそうである。「ふたつめ」の正体をやっとつかまえたのだ。

 

私の持つトラウマは愛着や生育環境由来のトラウマだけではなかった。むしろ、上記のことによるふたつめのトラウマこそが、本丸らしい。

愛着トラウマによって、私は顕在意識から意識をふわふわと離す方法と観察を身につけたが、その離す方法によって、玉突き事故のように、新たなトラウマが生まれてしまったといえるだろう。

さて、私の得意技を駆使するならば、ここで「ではどうしましょうか」と実務、行動のターンである。

しかしながら、どうしましょうか、といっても、方法はふたつしかない。

変性意識に入らないようにするか、そのトラウマにミスマッチすることを経験し、書き換えていくことだ。

前者は検索済みである。そして入らないようにすることは無理っぽいと思った。

なぜなら「変性意識に入るにはどうしたらいいですか」の質問はたくさんあるが「入らないようにするのはどうしたらいいですか」の質問はひとつもないから。

これは私のようなことで悩んでいる人はとても少ないか、もしくは私のような人がいても自覚的でないか(それはつまり問題が起きてないってことだからいいんだけど)ということを指すのだろう。

それは、誰かに聞いたり、勉強したり、情報を集めたりできないということ。行き止まり、ということになる。

私の治療にあたっては、後者しかないようだ。

愛着のトラウマは「安心した関係を擬似的にであれ、治療者との間で作り上げること」そのものがミスマッチになる。安心した関係がなかったことがトラウマだから、安心した関係を作れる、維持できるという経験で治療は進むのだ。

もうひとつのトラウマはどうしたらミスマッチするかと言えば、私が口にした、通常の人には見えない感じない範囲のことを怒ったり逃げたりしないで人が聞いてくれる経験ということになる。難易度高いなあ…

私は超能力者ではないし、霊感もゼロだけれど、占い師にでもなったらいいのかな…みんなありがたがって聞いてくれるんじゃないかな…この考え、甘い?甘いよなあ…笑