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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

くま

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私の居場所のなさ、というのを考えていたら、くまの話がふと思い出された。

くまという生き物は私の知識の上では

☆幼少期につらかった、居場所のなかった人の頭の中にいる友達、イマジナリーコンパニオン、イマジナリーフレンドとしてかなりオーソドックスな動物

☆基本的に目の前のことしか見えていない動物(大好きなどんぐりに夢中だと人がそばを通っても気づかない、一度でも攻撃されたと思うとその対象をひたすらおいかけまわすなど)、つまり居場所があれば間が抜けているともいえるほどのんきであり、居場所を侵害されたと思うと恐ろしいまでに攻撃的になる動物

☆虐待的調教により、サーカスで芸をすることができる”過剰適応”が厳然たる事実として証明されている動物、サーカス内ではその”過剰適応”においてのみ、生命が維持されている動物

こんな感じである。

個人的には実に居場所と関連が深い動物のように思う。

愛らしくもあり、どこかユーモラスでもあり、それでいて、ものすごい凶暴性もある。

 

私も脳に?心に?くまがいる。大きすぎて顔が見えたためしがない。でもたぶん、くまなのである。

トトロ並に大きくて、ふわっふわで、紫がかった水色をしている。

そのくまの上で私は眠る前に寝っころがってお話をする。

くまはそうなんだ、こまったね、たいへんだったね、それはへんだね、と私の話を延々と聞いてくれる。

心もとない気持ちで行動せねばならないときは、横にいてくれる。

もちろんイメージの中の話で実際にはいない。いないけれど、いる。

 

私がこの2年ほど、よく話をしてきた人がくまの話をよくしてくれた時期があった。なんだかくまが気になるんだ、と言っていた。くまについて、すごく調べてしまうっていって笑っていた。私はその人から、くまの話を聞くたびにくまが好きになった。くまっていいな、って思った。

その人もまた被虐待を生き延びたサバイバーだ。

私が不貞をおかした相手である彼は自分で部屋を作れるSNSをやっているが、その部屋にはコーラルピンクのくまのぬいぐるみがある。

私は最初、それをなんだか彼のキャラにも合わないし、可笑しいなって思っていた。

でも、いま思うと、彼も、はっきりとではないにしろ、心にくまがいるのかもしれない。だから仮想の空間の部屋の目立つところに(ほぼ真ん中!)にくまをおいているのかもしれない。

私は思う、ある種の居場所のなさを経験した人の心の風景には、不思議とくまがぴたりとはまるのかもしれない、と。

私は宇多田ヒカルもサバイバーだと思っているが、彼女の歌にもくまの歌がある。彼女もくまを愛している。

 

くまは私がかつて住んでいた札幌ではときたま現れる。畑を荒らしたとか、冷蔵庫を開けてなんか食べてたとか、そんなニュースが流れる。

きっと大好きなどんぐりが山になくなってしまって、居場所を追われた気になって、怖くて焦って困って、山から出て、必死に食べ物を探したのだろう。

私はくまにたくさんのどんぐりをあげたい。それはどんぐりが実る木であり、森であり、山であり、居場所なのだ。

くまの居場所は町の中の畑ではない。サーカス団でもない。どんぐりのある場所だ。

私はくまに居場所をつくってあげたい。どんぐりがたくさんある森。冬はゆっくり眠れる森。こぐまが安全にゆっくり育つことのできる森。

私もきっとくまなのだ。

ぼくはくま くま くま くま

けんかはやだよ くま くま くま