Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

Everything Flows

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今日はTeenage Fanclubが先月、アルバムを出していたことを知った。

このライブは先月のだ。変わらず、素敵だ。

私は高校生の頃、このバンドが大好きでよく聴いていた。

豊平川ウォークマンで聴くのだ。小学生のときに買ったから、もうとっくに壊れていて、輪ゴムがないと閉じなかったウォークマンで。

CDを買うのに忙しく、音楽を聴くための道具を買うお金まで貯まらなかった。

安い中古レコード屋で何枚か買って、それを違うレコード屋に売るということをちまちま繰り返す、いわゆるセドリでおこづかいを増やし、欲しいCDを買っていた。

週の半分くらいの放課後はひたすらレコード屋をまわり、その店の特色をつかみ、何が高いか、何が安いか、どの店員が私のよく知るジャンルを高く査定するかを観察した。

800円で買ったものが12000円で売れたときは本当に嬉しかったな。

そんなふうにして、たくさんのアーティスト、たくさんのジャンルを聴いていたが、私が好きになるのは、いわゆる”美メロ”というやつだった。

Teenage Fanclubは多くの曲がとても美しいメロディーだ。

この曲に限らず、Neil JungとかThe Conceptも本当に大好きだった。ライブで聴けた時はぽろぽろ泣いてしまった。

いま、改めて聴いてもやっぱり泣きそうになってしまう。

 

ひとりで流れる川を見ていたあの頃は、何で私はこんなところにいるんだろう?とひたすら思っていた。

どうにもならない流れに巻き込まれ続け、そこでなんとかやっていくことにもはや疲れた、疲れた、疲れたと思っていた。

ほどなくして、私は飛行機に乗って、家出をし(これは記憶はあるにせよ、何を持っていったか、どのようにしたのかは全く思い出せないから解離性遁走に近いのだろうと思う)、連れ戻された後は、まさに抜け殻のようになった。

私は小学校の卒業が近い日も同じような感覚で通学路を歩いていた。

6年間も通っていたのだ…とその事実を反芻すると信じられないというか、自分が自分ではないような、地面がぐらぐらするような、気の遠くなるような、妙な気分だった。

映画で、最初は主人公の目線だったはずのカメラはすーっと上にあがり続け、最後は空から映し出した地上の風景のどこに主人公がいるかもわからなくなる、と言うのがあるが、本当にそんな感じだった。

私は自分が感じていたのは離人感だとはっきりと認識するよりもずっとずっと昔から、それを感じていたらしい。

 

ひとりで流れる川を見ているいまは、20年の月日が流れて、取り巻くなにもかもが変わっても、結局、私は変わっていないのだなと思う。

私だけがここにいて、目の前の川のように全てはどこかへ流れていってしまう。

手に入れた、確かにあった、そう思っても、次から次へとなくなって、こぼれてゆく。

本当にあったのかもよくわからないし、そこに私がいたのかもよくわからない。

不確かな日常をなんとかやり過ごす。私はずっとそうやって生きてきた。

そこでいかに速く泳ぐか、綺麗に泳ぐか、を考えていたときもあったし、実行していたときもあったが、大抵は諦めて、ただ流されていた。

そんな話を旦那さんにしたら「楽しく泳ぐ」ということもできるのではないか、と言っていた。

「楽しく」というのは泳ぎたいように泳ぐということなのだろうが、それが私にはそもそもよくわからない。

高校生の頃は大して歌詞もわからずに聴いていたわりには、なんとぴったりな歌詞なのだろうと私は偶然というものに感心せざるを得ない。

I'll never know which way to flow
Set a course that I don't know