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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

深刻と真剣

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今日はその名もずばり「解離性障害」という新書をミスドで読んだ。

もう間違いないね!これだね!確実だね!逃げられないね!と改めて王手をされているような気がした。

帰り道、ずっとこの曲が頭の中で流れた。

帰ってきてから、曲に合わせて、まともがわからない ああ〜 うう〜と歌っていたら、楽しくなった。

わからないの”ない”のところで裏声にするのが楽しいのだ。

歌っていると、別にわからなくてもいいじゃないか、という気になってくる。

 

まとも、の対極には、まともではない、がくるのだろう。

しかし、まとも、とはそもそもなんなのだろう。

それはあくまで多数決によって作られたとりあえずの「まとも」ではないだろうか。

多数決の枠を外してしまえば、みんなまともで、みんなまともではないともいえるのではないだろうか。

そこから導き出されるのは、本来、人はそれぞれということ。

そして、私もそれぞれのなかのひとつということ。ただそれだけ。

 

深刻と真剣は同じではない。

睡眠の質が悪いとか、どこかが痛いとかはやはり深刻な事態で、やはり精神的にも深刻になりがちなのだが、でも真剣か、と問われると違うよなあと思う。

深刻であるが故に、その深刻さにのまれてしまえば、それは「深刻なんだからしかたないでしょ!わたしかわいそうでしょ!」という甘えにも似た何かになってしまい、そこには深刻に立ち向かう真剣さはないように思えてしまうのだ。

深刻になりすぎずに、まともがわからない ああ〜 うう〜と歌いながら、真剣に物事を推し量ってゆきたい。

だいぶ眠れるようになってきたので、少しはまともな思考が働き始めてきたかな。

でもでも、やっぱりまともがわからない ああ〜 うう〜。

この曲は、聞くより歌う方が楽しい。う〜う〜ううう〜。