Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

たずねびと

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頭の中で数々の思考が同時並行で進んでいる。

街の交差点にいるといろいろな音がする。

車の音、信号が青のときに鳴る通行音、誰かの会話、店の自動扉が開くたびにほんのり聞こえるBGM。

私の頭の中もそんな感じだ。

まったく違うことが同時に展開している。

私はそれを眺めているが、そのうちのひとつが不意に私をつかむ。

すると、それは溢れ出し、丸い透明な球のようになって、私を包み込む。

世界はそのままだけれど、私はそれに包まれて、どこにいるのかわからないような感覚だ。

私はタイムスリップしたように、その球の中で「いま」とは違う場所にいる。

「いま」から切り離されて「いま」にはない気温や匂いや音や気持ちを私は感じている。

そして、決まって、ぼんやりと悲しい、さみしい、泣き出したいみたいな気分になる。

 

何故そうなってしまうんだろう。

繋留のうまくいかない船などは実際ほとんどないのだろうが、私の意識はいつも繋留がうまくいっていない船のようだと思う。

「いま」との繋留が弱すぎるのだ。

強い力によって、繋留するためのロープが切れたのか、ほどけてそのまま海へ落ちたのか、或いは自分で切ったのか。

定かではないが、そうして凌いだ強い力への代償を私は日常にずっとある離人感で支払っている。

解離は癖になるというが、癖ではないように思う。

繋留するためのロープが極端に短くなっていて結べないか、そもそもなくなってしまっていることを知りながらも、ごまかし続けなければならないだけなのだ。

私の脳はそうして、当の本人である私にも「ない」ロープを「ある」として、ごまかすことに成功していた。

 

普通は愛とか絆とかそんな名前でよばれるものが「いま」と自分を繋ぐロープなんだろう。

たぶん、本来は家族という芯になるロープを中心に、生きる程に多くの関係性がうまれ、それがロープを太く、強固にしていくのだろう。

一方、ロープのないはずの私が作り出していた見せかけのロープは「いま」に存在するための義務だけでできていた。

そのロープには負荷がかかると緊張だけがダイレクトに感じられる。

ぷちぷちと響くロープが伸びる音、ごうごうと鳴るいまにも吹き飛ばされそうな強風、ロープは切れるに違いないという恐怖。

その恐怖のあまり、手が震えて、いまにもロープを手放してしまいそうな自分。

力を入れすぎて感覚のなくなった手でロープを放さざるを得ない時、それは関係性が切れることを意味する。

もやい結びがほどけないらしいよ、もやい結びってなによ、記憶の一部が言うもやい結びを私は検索する。

こんな結び方したいなんて私は全く思わない。

素直にそう思った時、私が必死に握っていたロープは失いたくないロープではないことに私は気がついた。

 

昨夜、なぜ彼によって解離が明らかになったかの答えを旦那さんは端的に言った。

「規定から外れたからだよ」

ここにいるためにはこうしなくてはならない。

強迫観念にも似た、私の行動を操る、居場所を失う恐怖から来る思考の前に、私は自分が本当はしたいこと、したくないことが全く見えなくなる。やるべきことだけが目の前にある。

それが私の作り出したロープの正体だ。そこには血の通った人間関係などと呼べるものはない。ただただ果てしなく続く障害物競争だ。

カウンセリングではそのことを「強力な自動スクリプトが働いている」と説明された。

やるべきことを遂行するために、感情は切り離されて、ロボットのように、しかし、あたかもそれが自然なことのように、私は現実を切り抜けてきたのだ。

そういった規定から外れた。規定から、外れた。

何度か口に出してみると、本当にそうだなあと思った。

彼といるときに感じたいままで味わったことのない楽な気持ちはスクリプトから解放された、義務感のロープから解放された私だったのだろう。

スクリプトは、ないはずのロープは、未だに私の意志や感情とは全く別に発動する。

そのたび、やはり疲れるのだろう、私は不意にここではないどこかへあっさりと飛ばされてしまう。

 

スクリプトの無効化がされているとき、私には離人感がない。

強い生きている実感がそこにある。

無効化させるのに必要なのは「彼」ではなく「規定から外れる」こと。

しかし「規定から外れる」にはそれだけの強い衝動が必要だ。

惑星の軌道をずらすくらいの彗星の衝突。列車が脱線するくらいの突風。川が氾濫するくらいの雨量。そういうものが必要なのだ。

外れようと思ってする行動は罪悪感との戦いにしか過ぎず、それこそスクリプトにはまる。

私に起きた彼への爆発的なまでの衝動は一体なんだったのだろう。

私にはわからない。もう一人の"私"がそれを担当していたのだから。

自分のことなのにまるでわからない部分があることが理解の先にある「一体どうしたらいいんでしょうね」という段階に進めない理由だ。

一体どうしたらいいんだろう。

この曲みたいに私も暴れられたらどれだけいいだろう。

「残念ながら当方ではわかりかねます」

お役所仕事のような私に、私は途方に暮れている。

もう一人の”私”はいま、どこに?