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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

ほのかにさみしい

今日はよく行くお洋服屋さんで、いつも会話をする店員さんがやめてしまうことを聞いた。

深津絵里を面長にしたみたいなとても美人の彼女は、私が東京から来たばかりで店までの道がわからない時に丁寧に電話で教えてくれた。

以来、店員さんとお客さんの関係が続いている。

私はおしゃべり好きで気さくな彼女に当時はだいぶ救われたものだ。

無駄に薦めない、いまいちなものをいまいちとちゃんと言う、そんなところも好感が持てた。

彼女と私は大した話はしない。その店の、たくさんある服の中でも好む色と形が似ている彼女と私は互いに洋服を前に、かわいいと連発するだけだったといっても過言ではない。

けれども「笑って話す」ことすらままならなかった時期に、彼女とのそんなやりとりをするのは私にとって、どこかしらふわんとした時間だった。

ただ、それだけ。それだけのこと。それだけの関係。

 

やめる理由を彼女は話してくれた。

店員さんとしてではない彼女の一面が見えた。

少し遠くから電車で一生懸命通っていたことなどは以前、会話の中に出て来たが、そこよりも、更に奥の彼女が見えた。家族のこと、彼のこと。

彼女は人生の岐路にいるんだなと思った。

そう告げると、岐路…ほんとにそうかもしれません、と神妙な表情をしていた。

かわいい洋服を前ににこやかに接客をする彼女にもまた、人生はあって、私と同じように悩んだり、不安に思ったりするのだよなあと当たり前だけれど、忘れがちなことを彼女の横顔を見ながら、私もしばらく考えていたら、彼女はくるっとこちらをみて、しんみりしないでくださいよー、まだしばらくいますから!と笑って言った。

 

私は結局、何も買わなかったのだが、店の外まで彼女はついてきた。

ここにこうしていると、みなさんが来てくれます、そうしてお話したりするのが好きだったし、また会えるという気がいつもしていたけれど、それがなくなっちゃうんだなあ、やめたら会えないんだなあって思うと、出会いだったんだなって、さみしいなって改めて思うんですよ。

店の中から毎日のように見ていた景色のなかで、それを改めて愛おしむように見ながら彼女は言っていた。

洋服を売る、ではなく、そういうスタンスで仕事をしていた彼女だから私は好きだったのかもしれないな。