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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

ばか

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いま読んでいる本は「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」というタイトルだ。

薬物療法の限界から、多岐にわたる療法の効果を紹介と帯にはある。

トラウマというとPTSDをすぐ思い浮かべてしまうが、PTSDと解離は実は双子のようなものだという。 

通っている血は同じだが、色合い、性格が違うような感じ。

どちらもトラウマ由来の脳の誤作動だが反応が異なるため、症状にも違いが出る。

実際に背側、腹側と神経伝達も違うらしい。

そのため、興味深く感じ、読み始めた。

 

私がこの手の本を読みはじめてからもう1年半くらいだ。

彼が社会不安障害と診断され、10年以上薬を飲んでいると知って、気になってからだ。

社会不安障害の本を読めば、確かに彼の症状はそれに極めて近いようだ。しかし、私は違和感を感じた。いいようのない違和感だ。

ものすごい向かい風のような圧力を感じるのだ。こっちじゃない、これじゃない、私は全身でそれを感じるのだが、それが何かわからない。

社会不安障害はアルコール依存になりやすいとも書かれていた。これも彼の表面だけをみると当たっているんだけど、やっぱり違和感があった。

それを証拠に彼は10年の間に本当の回復とは反対の方向に進んでいる。

私の目にはすっかり諦めてしまっているように見えた。

彼の話を聞けば、機械的に投薬だけする医者で毎回「酒、やめたら?」と言うらしい。

あり得ない!社会不安障害ならば、不安感からの解放のためにお酒を飲みたくなるんだから、その対策を考えて回復への道を探るのが医者の仕事でしょ!

私は憤りすら感じた。

私は彼に本で調べた話をした。彼の話からまず薬が多すぎることを疑った。無論、私は付け焼き刃のど素人に過ぎない。けれど、彼には明らかに効いてない薬がある。

彼はその直後の通院で薬について話し、三種類から二種類に減ったと話してくれた。

体感や症状は変わらないという。

しかし、私たちはこのひと月後くらいによくわからない喧嘩になり、気がついたときには彼は既に引越しをしていた。

私は喧嘩になり、連絡が取れなくなっても、勉強を続けていた。

彼が社会不安障害じゃないとわかった本を読んだ日、それによって彼も私も「エイリアン」だとわかった日、そしてそれを伝えたくて彼の家に行った私が彼の引越しに気づいた日は同じ日だった。

私はその日、絶望した。なにもかもが遅すぎたと知った。もうだめだと思った。

勉強会で会った、全てがつまびらかになった本を教えてくれた先生のカウンセリングを受けることにした。

私は常々、彼にはカウンセリングが必要だ、と思っていたが、必要なのは私も同じだったのだ。

私のこれまでの1年間のカウンセリングは少し奇妙だったと思う。

自分のことを話せない、話すほどわかっていなかったかつての私は、彼の病気について、私の「見立て」を先生にスーパービジョンしてもらう感じだった。

その作業は彼の病気の輪郭を丹念に見ていくものだったが、その輪郭に極めて近いけれども、明らかに彼とは違う私の輪郭を不思議と浮き上がらせるようなものでもあった。

あるとき、それに気づき、私は愕然とした。

それは私が自分で自分を解離性障害だろうと悟った瞬間でもあった。

彼はPTSDの色が濃いエイリアン、私は解離の色が濃いエイリアン。

両者は心理的ネグレクトが原因だが反応の違いがある。これはそのまま愛着パターンの違いともいえる。

私は脳科学的な意味で双子といえる彼を鏡のようにして、私の本当の姿を知ったのだった。

 

彼に効くであろう治療法はもう先生と見出した。

とてもシンプルなのだけれど…彼がそれをするかはわからない。

一応伝えたけれど、彼がそれを見たかもわからない。

もしかしたら忙しく働く男性がひとりでそれをするのは現実的には少し難しいかもしれない。

もっといい方法があるかもしれない。

そして、私の治療法はまだわからない。

人には人の数だけ治療法があるのだろうなと本を読みながら思う。

びっくりするようなこと、そんなの効かないよと思うようなことも中にはあるのかもしれない。

尤も、そもそもトラウマというものを考えてみれば、それは当たり前なのかもしれないが。

トラウマとは自分の中の「想定内」「許容範囲内」から一気にものすごい力で弾き飛ばされる恐怖経験なのだ。

そうなれば、枠の外から内に戻る方法もまた「想定外」「許容範囲外」である可能性が高い。

いや、本当はそれは「『枠の外』という枠の更に外」、枠のない世界へ向かう方法なのかな。

 

先日、新幹線で会った彼女に触発されて、私は行動をした。

私には心理系の資格がないので受講資格がないな、無理だな、行けないなと思っていたカウンセラーのための講座に、だめもとで私の持つふたつの「カラーセラピスト」という資格を書いて、書かなくていい志望動機まで書いて、応募してみたのだ。

驚くことに、申し込み受付の返信が来た。

実は、私は春から通っていた小さなカウンセリング学校から秋にもう来るなと言われるという事件があった。

この学校でカウンセラーとつく資格が12月にもらえるので、そうしたら先の講座にいけると算段していた私は打ちのめされた。

学校では私はとても真面目だった。

グループカウンセリングで先生よりもクラスメイトの言いたいことがわかり、先生では一向に前に進まぬやりとりに毎回内心やきもきしていたが。

あるとき、先生が私にどう思う?と聞いたので、私は私がわかることを口にしたらクラスの先生を頂点としたパワーバランスが一気に変わった。

クラスメイトはその回以降、先生ではなく、私に話を聞いてもらいたがるようになった。

そのときの先生は顔は完全にひきつっていて、私はああ、またやっちゃったと思ったが、まさか辞めさせられるとまでは思っていなかった。

しかし、それからしばらくして「やめろ」という旨のメールが先生から届いたのだった。

私が和を乱すというようなことがそこには書かれていた。

普通なら考えられないことかもしれないが、私の人生ではこのようなことはいつものことで、もはや慣れっこだ。

わかることを話すたびに人は私を怖がる。

ただ今回ばかりは目標があったのでだいぶ堪えた。

しかし、資格がもらえなかったから、もう開けられないと思っていた講座の扉は、新たな資格などなくても、私の持っていた資格だけでも開いたのだった。

 

私はもう彼に会うことはないのだろう。

でも、私は、彼を回復させる様々な方法を探ることをやめないだろう。

自分のためにもなるからだと言ってはみても、そもそも、研究者や医者に任せたほうが遥かにいいに決まっている。

だから、なんでここまで一生懸命なのか、自分でもわからない。

お前、ばかじゃないの、ほんと変わってるなー。

私の頭の中で彼は言う。

私は実際の彼にも、よくこのように言われたのだった。

彼はその台詞を言ったあと、決まって笑っていた。

そして、私もつられて笑ってしまうのだ。

ばかでもいいかなー。私、ほんとはばかなのかもなー。ばかなんだろうなー。

最近、よく、そう思う。