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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

セックス考 2

セックスというのは、多くの場合が、親密な関係を基にしていると私には思われる。

まず、それをする場所はとりたてた性癖がない限りは個室で、公共の場では行わない。

更にはその間には裸体であり、男女問わず、傷つけられたらおそらくものすごく痛いであろう部分を晒す。

これが危険でないはずがない。

キスひとつとっても、唇を食いちぎられるという可能性はゼロとはいえないのだ。

だからこそ、セックスには一定程度の親密さ、信頼関係が必要な行為だと私は考えている。

 

セックスを知るまで、つまり、子供の時代はまず養育者、ついで、友達、先輩後輩などを通して、私たちは皆、親密さや信頼関係を学ぶ。

この一番最初の養育者との間でそれをうまく学べないと、愛着障害となる。

その、うまくいかなさを愛着のパターンとして、学んでしまうからである。

これは一般的には、ある程度、距離のあるクラスメイトや友達のまえでは発動しにくく、距離の近い恋愛関係になる人とは発動しがちのようだ。

距離、愛着の感じやすさという点で恋愛のパートナーと親は近い存在なのだろう。

 

私の親との関係は偽物であった。

私は一触即発な両親を心底恐れていたので、できる限り、何事も起きないようにしていた。

困難があっても、ひとりでなんとかしていた。

時折無理がたたるように身体が動かなくなり神経衰弱のようになった。

そうなると父は私を神経質といいすて、母は私に対して怒った。

私にとって両親との関係は緊張に満ちた関係だった。

旦那さんは親のような人ではないが、私には人の欲求を読む癖があるので、私はその癖が抜けることはなく、リラックスしているようで、その実、そうでもなかった生活をしていたらしい。

基本的に自分が何をしたいかよりもいまこの人、この状況で何をすべきか、で行動してしまうのだ。

私はそれが人間関係だと学んでいたし、なんとか適応し続けていたといえる。

私にとって、親密さとはやりたくないことをしなくちゃいけない、面倒なことを引き受けなくちゃいけない、なのだった。

だからこそ、表面的な人間関係を保ち、慢性的に心はそこにないという状態を作り出して生きるという力を使ったのだろう。

これが私の解離、離人感だ。

 

それを見破ったのは彼だ。

彼は私が表面的に行動しているとあっさりと見抜いた。

何度か同じ場所に居合わせ、彼とは他愛ない会話をごく短い時間、あとはその場にいた人全体で話していただけにも関わらず。

初めてセックスをしたときも、同様である。

私はこの期に及んでバカじゃないかといまでも自分にツッコミをいれたくなるが、セックスしながら、逡巡していた。

これが世に言う浮気か。不倫か。なんということであろうか。どうして私はこんなことに。忌み嫌って、理解できないと吐き捨てていた関係なのに。

そんな風に思っていたときに不意に彼は

あなたが気持ち良くないと俺も気持ち良くないと言い放った。

私はうわ、違うこと考えてるのがばれた!ということと、この人はそんな風な価値観をセックスに持っているんだ!ということで、びっくりしてしまった。

 

彼はいかない、いけない人である。

それは10年以上も飲み続けているSSRIのせいもあるだろうが、聞けば、服薬より前からそうなのだと言う。

特別な自慰行為によるものでもないと言う。

彼の中には、なにか厳しい戒律でもあるかのように私には感じられた。

文字どおり、肌で感じられた、わけである。

そんな彼に、セックスってあなたにとってどういう感じなの?と問うと、相手が気持ちよさそうにしていると俺でも役に立っているんだなと感じるものだという。

役に立ってるって…そんな風にセックスを、自分を位置づけているんだと私はそのとき絶句してしまった。

 

その人にとっての親との関係性が、親密さへの感覚が、セックスにそのまま関係している部分があるというのはあながち間違いではない考察なのかもしれない。

私は表面的な、義務的な、それをやめたら、できないに変わってしまった。

感情レベルではとっくのむかしに親密さを諦めていたことに気付いてしまったようである。

だから、今更、親密さを求めることが怖いのではなかろうかと思う。

 

彼の場合はどうだろう。

彼は母親をかわいそうだと思っているらしかった。

彼の母親は双極性障害という病気だ。

彼が言うには、母親のその病気の根底には悲しみがある、それがわかる、でも近くにいてあげられないし、何もしてあげられない、と言っていた。

普段感じている無力さ、役に立ちたいという思い、目の前の人に幸せであってほしいという思い、自分だけが幸せになってはいけないと感じている思い。

やはり、セックスと通じているような気が、私はする。

 

1で書いた彼女は、なんと風俗で働いてることを母親は知っている。

母親との関係は不思議なほどに一見良好にみえるが、私は母親からの精神的なネグレクトが一部あるのではと感じた。

一人娘が風俗で働くことに何も思わない母というのは、娘の自主性を重んじているようで、実は娘のことをどうでもよいと感じているように私には思われたからだ。

彼女は両親の離婚により、そもそも男女関係を信用していない部分があるようで、快楽としてのセックスだけでもいいと言ったりしていた。

更には経済的にじゃっかんのコンプレックスがあるようだった。

父親とは仲が悪い。

彼女は子供を作るなら、旦那さんじゃなくて、自分より年下の彼氏の方がいいという。

その彼氏とは数いる彼氏の中でも、とりわけ連絡もろくにつかない相手である。

彼女のセックスは父親の愛情の不足感を補うものであり、その父親の愛情不足状態が彼女には男性への愛着パターンとして身についているために、不足している方が安心感すら呼び起こし、子供がほしいとまで錯覚し、また、母親からの一部の精神的ネグレクトにより、性的な観念に歯止めがきかない状態を作り出しているのかもしれない。

 

これらは私の全くの主観的な考察でデータも少ないし(ていうか3つしかないじゃん!)、誰かとこのことで議論したりしたいと思わない。

ただ、セックスに対しての在り方は、そのままその人の親密さに対しての表れなのかもしれないなあと思った、という記録として書き残しておきたい。