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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

敬意の有無

世の中には胡散臭いセラピストやカウンセラーがたくさんいて、本当と嘘を巧みに混ぜ合わせた文章をブログという名の広告にしている。

まず、私が一切信用ならないと確信しているのはアダルトチルドレンや不安障害や各種依存症などを「克服」と書いている人たちだ。

「克服」とは努力して困難に打ち勝つこと、と辞書にはある。

確かにアダルトチルドレンであることや精神疾患やそれに伴う症状は困難ではあるが、努力して打ち勝つ対象ではない。

実際は打ち勝つどころか、その事実を受け入れていくことが、抱えている困難を軽くさせたり、いろいろな物事の理解が進んだり、許せることが増えたりという道に繋がっている。

そもそもが勝ち負けの話ではないのにもかかわらず、克服という言葉をわざわざ使う人は打ち勝てていないあなたは負けてますと暗に示して、自分の優位性をアピールしたいだけだ。

言葉選びのセンスは、その人の本質を表すなあと私はこのようなブログや文章を書いているセラピストやカウンセラーを見かけるたびに思う。

 

負けているあなたに、私が勝つ方法をお教えしましょうと言うような人の実際はセラピストでもカウンセラーでもない。

勝たなければ死ぬと考えている戦士か人を騙す詐欺師である。

この世には、負けている人などひとりもいない。

人生において、さまざまな出来事があったし、いまもあり続けているだけの話でそれは勝ち負けとは呼ばない。

どのような家に生まれ、どのような養育者に育てられ、どのような出来事があって、どれだけ困難な状態があろうと、それだけで負けているなどということはないのである。

 

セラピストやカウンセラーと呼ばれる人々に必要なのは、まず、目の前の人に敬意を払うことだ。

たくさんの出来事を過ごしたから、いま自分の目の前に、その人はいる。

それは対面に限らない。ブログだってなんだって同じだ。

検索して、そこにたどり着いた人に「克服」なんて言葉を浴びせるなんて、一番してはいけないことだ。

その人は困難をなんとかしようとした結果、そこにいる。

それは間違いようがないことだ。

努力し続けてきて、疲れている人に、もっと努力をなんて言える人は、相手の神経を更に衰弱させ、マインドコントロールするための準備をしたいか、もしくは全く理解がないかのどちらかだ。

金儲けをするために前者を選んでいるならまだいい。

無意識でその状態なのが最悪である。

 

その人に敬意を払うと、その人が経験してきたことや感じたこと、思ったこと、行動したことにも自然と敬意がうまれる。

そうして耳を傾けていると、いまその人がどれだけ困難な状態であっても、そこに在るということは、その人なりの理由や工夫や気遣いや優しさがあってのことだとわかる

一方でその人の持つ恐怖、思い込みもあるとわかってくる。

大抵はこれらが絡み合って、独特の困難さが生じている。

敬意を払わなければ、それを見ることはとてもとても難しい。

しかしながら、他者に敬意を払える人は思いの外、少ない。

私は敬意なきコミュニケーションがどういうものかを知りすぎているから、他者に敬意を払っていない人はすぐにわかる。

だからこそ、私は他者に敬意を払える人でありたいと心から思う。