Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

芸術療法

日常的に家族や恋人にモラルハラスメントを受けている人というのは、悩んでいることを誰かに相談すると「ちゃんと話したほうがいいよ」「自分の意見言ったほうがいいよ」なんて言われるそうだ。

それは相談した側には「ちゃんと話せない私が悪い」「意見を言えない私はだめ」と脳内変換されるために責められてる気持ちになり、もう誰にも相談したくない、でもどうしたらいいかわからない…と孤立無援感覚を呼び起こす。それを二次被害と呼ぶそうだ。

しかし、相談された側はあくまで"普通の場合"を想定して、正論のアドバイスをしているだけで、もちろん悪気などはないから、まさか自分が加害しているなんて全く感じていないし、そもそも、する気もないだろう。

これはなんのこともなく、"普通の場合"しか想定、想像できない人に"普通ではないモラハラ"は理解できないだけという事実を物語っている。

機能不全家族育ちだと、上記のようなことは子供の頃から幾度となく、起こる。

いわば、機能不全家族育ちの人は子供の頃から孤立無援であり、物事や人間関係を制御することは自分にはできない、自分は他者に理解されない、という経験を繰り返し、それらは脳に記憶として自然とプログラミングされている。

そして、そのプログラムは常に自動で働いている。

 

芸術療法、アートセラピーには大まかに言って、考え方がふたつあると「臨床アートセラピー」という本にあった。

★Art as Therapy 治療としてのアート 素材を通しての自由な自己表現を重視し、それが治療の目的となる

★Art Psychotherapy アート心理療法 制作プロセスの最中や完成した作品を通してのアートセラピストとのコミュニケーションを重視する

このふたつだ。

前者は自己表現をするにあたって、自身の感情と向き合う過程がある。いわば「自己の内側との対話」がセラピーとなるという考え方。

後者はアートセラピストとのコミュニケーション、つまりアートを通して「自己の外側(他者)との対話」をすることがセラピーとなるという考え方。

はたして、機能不全家族育ちのC-PTSDや解離を持つ人にとって、どちらが有効なのか。

 

プログラミングが強烈な場合は前者からスタートする方が、容易で、かつ、抵抗が少ないだろうと私には思われた。

特に解離を持つ人の場合は客観性も強いために、自分が制作しているものがどのような素材であれ、色であれ、形であれ、そこに自分なりの「意味」を見つけることができる可能性も高い。

後者はアートセラピストの腕前次第なところもあり、いまいちな場合や相性が悪い場合はまさに「二次被害」状態になる危険性をどうしても孕む。

ただ、後者でなければ、自分ではない他者の視点を取り入れることや、他者の手とともになにかを作り上げる一体感や協力のレッスンはできないのも確かなことだ。

それは"普通の場合"の母と子の交流に極めて近いものであるがゆえに、やはりどちらもできたときに、アートが本来の意味でセラピーたりえるのではないか、という印象を私は持った。

あと、美術や色彩学、象徴学などを学んでいる人の場合はこの療法はなかなか難しいだろうなと感じた。

作品に意図が入り込む可能性が高くなってしまうからである。

アートセラピストが優秀な場合は、その意図が入り込まない手法や枠決めをできる、または意図の奥もみえるかもしれないが…

このあたりのセラピストの技量次第な感じはカウンセリングと近い。

前者後者に共通する点は、夢中になって、集中してなにかを作る、ということで「させられている体験」ではなく「している体験」となり、能動(物事のコントロール、素材との一体感)の喜びを感じやすいことであろう。

この点は、とりわけ、日常に料理や繕い物、編み物、プラモデル等の制作をする人には馴染み深いものなので、親和性が高そうである。

内観、自己との対話が難しい人(ex子供、感情コントロールができない疾患や状態、またはなんらかの障害を持つ人)はアート心理療法としてセラピーを捉えているアートセラピストとセラピーを行わないとセラピーとしての効果がないと予想される。