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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

解離症状=解離性障害ではない

先日、知的障害や発達障害の解離について書いた。

先生に確認したところ、知的障害や発達障害の解離は症状としての「解離」だが「解離性障害」ではないのだという。

 

解離性障害がなんたるかを改めると、それは自己が観察者と存在者に解離してしまうことにある。

解離性同一性障害は自己がそこから更に複雑にいくつにも解離した状態である。

ところが、観察者という客観性を持つ自己があるのは心理発達上、成人となっている場合のみ。

つまり、心理発達上、成人になっている人だけが「解離性障害」となりうるのである。

 

知的障害や発達障害は度合いはあれども、この客観性を持たないか、持っていても完全には機能しない。

なぜなら知的障害は心理発達がおよそ小学生程度、また発達障害は他者の気持ちや考えを理解できないのが特性となるためである。

そのために境界性人格障害自己愛性人格障害のように見える傾向も強く、自責的ではなく他責的な印象のエピソードも多くなる。

解離の症状は病気ではない人たちにも時々起こる。

家族が亡くなって、とても悲しいはずなのに涙は見せず、お葬式で妙にキビキビ振るまえたりなども一種の解離だ。

解離の症状=解離性障害ではないのである。

 

ちなみに知的障害があると、てんかんの率も上がる。

調べると、解離ではよくある「記憶がない」ということが知的障害の場合は人格交代ではなく、実はてんかんだったということもある。

てんかんも知的障害も脳の器質的なものなので、治療法も薬の種類も変わるだろう。

 

このあたりの見立てがしっかりしていないと患者に合わせた治療を組み立てる鑑別治療学も全く功を奏さない。

重ね着症候群になってしまうと、難治化どころか悪化の恐れもある。

 

精神科の医師や心理士というのは、目に見えるものを扱うわけではない。

だからこそ、目の前の症状の全体を見て、それを豊富な知識量に結びつける「直観と推論」をとにかく駆使できる能力が必要だろうなあと思う。