Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

無題

もうひとつのブログはしばらく休止することにした。

 

私のトラウマは「居場所がなくなること」というのがわかってきたが、それは大抵、自分の気持ちや意見を表現をしたときにそこに居合わせた人に一方的な怒りを示されることが原因である。

前回の記事に書いた、会ったことも話したこともないのに、勝手に私を理解者扱いし、質問を浴びせ、私がそれは主治医に聞いてくださいと言うと怒るような人はその典型だ。

私はそれによって、自分の意思で得たアカウントのブログの場すら安全ではないのだと感じて非常なショックを受けてしまう。

そもそも全く私は悪いことをしてないのに何故こんな目に遭うのか、本当に理解ができないと混乱し、諦める。

 

カウンセリング学校に行っているときも同様で、女性の先生に一方的に「来るな」と言われた。

そのカウンセリング授業中に先生がある人(彼女も受講生)の心情的な読み解きをできない、わからないといい、私にわかるかと聞いたので、答えた。

私の話したことは当たっていたらしく、彼女はそれ以降、私をあてにした。

他の受講生もそれを目の当たりにし、私の場合はどうかと矢継ぎ早に聞いてきた。

みんな、私との練習カウンセリングをしたがった。

私は先生よりもクラスの人たちの信頼を一瞬にして勝ち取ってしまったことにすぐに気付いたが、もうどうしようもないのだった。

そのあとに、あなたは和を乱す、という理由で先生から来るなというメールが来た。

私は先生に防衛機制が働いてると考え、スーパービジョンを求めたが、なんの返答も得られず、通った時間は無駄になり、資格も当然ない。

まさか学校で、当然受講費も払っているのにこんなことになるなんて誰が予想するだろう。

 

私の人生は両親をはじめとして、このようなことや人と出会う連続であった。

だから、私は思っていることを言うことがいつも怖い。

言えば、誰かの理不尽な怒りを買い、安全なはずの場所が安全ではなくなる。

私にとっては旦那さんとの関係もこれの繰り返しだ。

表面的にはこの家は確かに居場所なのだが、私は心から安らげていない。

私はそういうシチュエーションを回避するために旦那さんをできるだけ怒らせないように、機嫌よくあるように自動モードで振る舞ってしまう。

これはありとあらゆる場でそうだ。

自動モードの私は「Ms.感じが良い」なのだ。

容姿は関係がない。

私の容姿は中の下か、下の上程度だが、人々は私を嫌うことはないのである。

しかし、自動モードにするために、私は私を切り離す。私はそういう解離なのだ。

 

私は誰かといることがそもそも向いていないような気がする。

私の居場所は私の頭の中にある世界のように誰もいないところにしかないような気がする。

そうではないと、私は私を保つことが難しい。

思ったことを素直に言っても相手の防衛機制による怒りをぶつけられない居場所は今のところ、私にはカウンセリングにしかない。

あるだけありがたい。

しかし、そこ以外に、この現実で私がその場所を確保することは難しいのかもしれない。

インターネットのなかでさえも難しい。

ネットはできる限り、クローズドにするしかないし、現実でも極力、人を避ける生活となる。

それは私の現状だ。

つまるところ、私の回復とはここが限界地点なのだろうか…。

大きなプロセスの中の長い通過点なのだと言い聞かせようにも私の心はあまりに固く小さくなっていて、巨大な虚しさに押しつぶされそうだ。