Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

絶望を絶望のままに生きる

なにかもう、どうでもいい、という感覚になっている。

PTSDや解離やその治療を熱心に調べ、勉強し、考え、文にすることは、最初は彼の、そして、私の、そこからさらに誰かの役に立つかもしれない可能性があると私はいつの間にかすっかり信じていたのだけれど、それは間違いなのだろう。

 

私は決して役に立ちたかったわけではない。

私はそもそも、そんなに素晴らしい人ではない。

「ただ可能性を信じてみたかった」だけなんだろうと思う。

しかし、そんな可能性は最初からなかった。

そして、なにより、その一連の作業は私を幸せな気持ちにはさせないらしい。

そういうことに私は気がついてしまったのだ。

 

人に対して感じよく振る舞うことで、何らかの居場所を私は得ようとするが、いつも無惨なかたちに終わる。

この勉強も同じなのだ。

勉強することで生み出されるかもしれない可能性を信じたかった=勉強することで私の居場所を見つけられる可能性を信じたかった。

そして、やっぱり無惨に終わったのだ。

 

私がいまさら勉強をしても、なにかになるわけでもないし、参考になるサイトやブログなんて、山ほどある。

変な人からメールを送られたり、先生に嫌われたりして、さんざんな思いをしてまで、わざわざ私がやる理由などどこにもないのだ。

私にできることは特にない。

私がやらなくても誰かがやるか、誰かが既にやっている。

私は私を圧倒する空虚さを居場所や役割を得ることでいつも埋めようとしたが、結局、空虚さのほうが勝る。

そして、私の世界はなにも変わらない。

静かで誰もいない。

もうこれでいいんじゃないか。

外的には私は結婚もし、それなりに暮らしている。

内的にどうであろうと、それで充分すぎるのではないか。

 

外の世界と内の世界は折り合わない。

そもそも、折り合わないから、私は解離しているのだ。

しかし、その折り合わなさはそれなりに絶妙に保たれており、私は34年、解離に気づくこともなく生きていた。

彼がその内と外の均衡を崩したのだ。

誰もいないはずの私の内の世界に現れたときに、彼は世界に裂け目を作っていたのだろう。

その裂け目には内と外の空気の濃度の差でものすごい風が起きた。

私は風をたどり、その裂け目を探すことはできた。

それ以上でもそれ以下でもない。

事実はそれだけなのだ。

 

いまでは内と外の圧力差は特別なことがない限り、もうそれほどない。

裂け目は、なんらかの記念日に公共の建物の上に力なくはためく国旗のごとく、たまにちょっとした風でばさばさと動く程度だ。

彼はもういないので、どのようにして裂け目を作ったのか、何故作ったのかを問うこともできない。

裂け目をなかったように直すこともできない。

できることは、この裂け目にトラウマ治療という名前の工事で適当な窓をつくり、不必要な風を防ぎ、気が向いたら必要な風を通す程度だ。

私にはほとんどの場合、必要な風などないが。

 

私は無理に外に居場所を作らなくてもいいし、作ることはできないだろう。

外には私に理解のできぬルールがあり、それゆえ、理解のできぬ私を理解してくれる人や場所などなくて当たり前だ。

私が外の世界の人のふりをしても、ばれてしまう。

あくまで私の居場所は内にあり、遠くから外の世界を眺めるか、窓から眺めるか、その違いだけが用意されているようだ。

彼が私にもたらしたものは「明らかな絶望」だったんだろう。

無自覚な絶望を生きていた私に、彼は希望を持ち込んだように私は思っていたが違った。

無自覚な絶望を自覚できるように、絶望の証拠を届けに来たようなものなのだ。

絶望とは気楽だね。

誰かや何かや自分にすら、なんの期待をしなくてもいいから。

期待がなければ、転がり込むラッキーをただ喜び、訪れるアンラッキーもまあ、こんなもんだなと思える。

 

悲しみの果てというタイトルの曲がある。

悲しみの果てに何があるかなんて俺は知らない

見たこともない

ただ あなたの顔が浮かんで消えるだろう

本当にその通りなのかもしれない。

絶望という悲しみの果てには何もない。

単なる日常がそっくりそのままにあるだけだ。

彼などまるでいなかったかのように。

私がすべきことは、絶望から抜け出すことではなく、絶望をよりよく生きること。

ただ、それだけなのだろう。