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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

アタッチメントスタイルについて

前の記事でのことや境界性人格障害について改めて考えていたら、先日読んだ「成人のアタッチメント 理論・研究・臨床」という本の内容がかちりと結びついたので今日はそれについてまとめておこうと思う。

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この表は本に書かれていたアタッチメントスタイルの内容を私がおおまかにまとめたものとなる。

これを読むと、左下のとらわれ・不安・アンビバレント型の特徴が境界性人格障害の特徴と共通する点が多いことがわかると思う。

アタッチメントスタイルというのは必ずしも左上の安定型であるのが望ましいとか素晴らしいというわけではない。

育つ過程で身に付けてきた一種の対人関係サバイバル術と捉えるべきで、それぞれに長所短所がある。(生きやすさと言う点から見たら安定型に勝るものはないとは思うけれど)

通常、人はいくつものアタッチメントモデルを持ち、それぞれに特徴のあるスタイルをつくっているそうなので、たとえば親と友達、恋人などの関係性によっても、違うモデルやスタイルを使っている場合もある。

つまり、あくまで傾向としてどのゾーンに自分が該当するか、というような考え方で受け取ると腑に落ちやすいはずだ。

 

上にまとめた4つの特徴だけではなく、ゾーン全体にある特徴もある。

下側の不安が強い型の特徴は

・人の思考や感情を正しく推測する程度である「共感的正確さ」の高さ

・また関係性に脅威をもたらすかもしれない状況においてでさえも戦略的に正確さを低減することが出来ない

この「共感的正確さ」というのがまさに前の記事の人が「IQの高さ」と称して、書いていたものであろう。

この「共感的正確さ」は恐怖や脅威を目の前にしたときにどうサバイバルするか、まさに脳的には必死な状態=過覚醒となり、そこで鋭い洞察力が培われたために発達するのだと私は思う。

言い換えれば「共感的正確さ」は鋭い洞察力なのである。

そして、恐怖や脅威を目の前にする経験が多ければ、不安傾向が強くなるのは当たり前とも言える。

この力があると、ネガティブな経験が起きたときに、心のどこかで「ああ、やっぱり…」と洞察に結びつく感覚になるときも必然と増えるために、対人不安感はますます高くなるのも納得がいく話だ。

低減できないというのは、少しわかりにくいと思うので、極端な例を書いてみる。

カフェにカップルがいて、その横の席に偶然、カップルの男性の好みの女性が座り、男性にほほえみかけた。

カップルの女性が不安型だと、男性が表面上は知らんぷりしてても、内心「かわいい人だなあ」とにやにやでれでれしてるのをすぐに見抜いて「もう私、帰る!!お好きにどうぞ!!」などと言って帰ってしまう。

帰ってしまうと、ここぞとばかりに隣りの女性に彼が声をかける機会を与えてしまう可能性を高くするだけともいえるのだが「気のせい」とか「私たちはつきあってるんだもの、平気平気、考え過ぎ」などと思い直すことができない。

これが低減できない、という感じに近いと思う。

 

ゾーンに全体にある特徴はもうひとつある。

右側の回避が強い型の特徴は対人認知に出る。

・他者のパーソナリティーを推測するときに保守的、慎重(危機回避的ともいえるだろう)

・いい情報も悪い情報も、その証拠もより多く必要とする

この回避が強い傾向の人々は

susumu-akashi.com

上記で書かれているように、脳が脅威と捉えた事態に対して、闘争/逃走ではなく、固まり/麻痺、つまり解離的な反応を見せる脳のタイプになるのではないかと思われる。

麻痺というのはちょうど事故にあった人が、時間の流れがスローモーションになって、自分の身体が浮かび上がるのを感じ、あ、私、死ぬのかな、それにしても、今日はこんなに晴れてたんだ、雲がないな、空が青いなと冷静に思いながら、車がぶつかる大きな音、周囲の悲鳴なども聞こえている、というあらゆる情報を全て保持しながら痛みの感覚はないというような状態に近い。

麻痺しながらも情報をひたすら集めて、その記憶もあり、判断や理解をしようと努力する脳を持つ人が回避傾向を持ちやすいのかもしれない。

一方、不安の高い型の対人認知は気分や状況によって、不安定となり、それがネガティブであれ、ポジティブであれ、早急に結論を導きだそうとする傾向があるそうだ。

つまり、誰かを見るときにあまり情報を必要としない、またその印象を変更するときにも多くの情報を必要としないのである。

この特徴をもっとも強く持つのが左下のとらわれ型となる。

たった一つの出来事やセリフで、早急な結論を導きだし、目の前の人を理解者だと思い込んだり、それが覆って攻撃に変わったりする境界性人格障害の特徴そのままといえるだろう。

これは対人関係的に実際にされたらうんざりするが、決して悪いことではない。

早急な結論を導きだそうとするのは、目の前の脅威に対し、麻痺ではなく、逃走ないしは闘争をするべきと捉えて、判断を急いで下す必要があると感じる脳を持っているということを表しているだけに過ぎないからだ。

脳の働き的には良いも悪いもない事象というか、単なる傾向、特徴なのだ。

 

ここまでの話から、私が不思議に思うのは、脅威に対し、人間の全員が、猫の前で死んだフリをするねずみのように、麻痺の反応をしていた方が痛みを感じることはないはずなのにも関わらず、なぜ、このような違いが生まれているのかということである。

それを考えていくと、私は左側の型の人々は、どのような脅威的な出来事に対しても、勝ち目はきっとある!と感じることができるために、無意識に逃走か闘争を選ぼうとする脳を持っているのではないだろうかと想像する。

そのため、生来に身体的な強み(敏捷さや屈強さのような)を持っている人々が左側に多く属する可能性もあったりするのかななどと思ったりもする。

HSPの本には、HSPは「神官」「シャーマン」「軍師」のような役割を古代では担っていた人々なのではないかと書かれている。

そのような考え方を拝借すれば、左側の傾向を多く持つ人というのは古代において「戦士」のような役割を担っていた人々なのかもしれない。

まあ、これは余談というか、本当に想像の域を出ない話ではあるが。

 

以上のようなことを私が話していたら、旦那さんは下半分の特徴って、一般的な恋愛における状態で男性が女性に抱く印象とも似ているよねと言った。

極端に感情的になったり、被害妄想的になったり、男がとっくに忘れてるような過去の情報をいつまでも覚えててストックして喧嘩の際に出してきたり…と。

それは恐らく育った過程での躾や社会の求める像に性差があるからではないかと私は思った。

例えば、どこかで「男ならはっきり主張せよ」というようなことを聞いたことがある人は結構多いのではないかと思うが、これは同時に女性はそうであってはいけないというメッセージも込められている。

そのようなことを見聞きする状況があれば、対人関係における自己主張に女性が不安感を男性よりも多く抱く、抱かされる可能性があるともいえる。

あとは「女のくせに」などという言葉も同じだろう。知らず知らずに刷り込まされ、自然とどうせ会社では偉くなれないしなあとか、ある種、社会や会社に拒絶されたような思いがあり、おそれ・回避型のような特徴を持ちやすい気もする。

これらは本当に想像だけの話ではあるが、いろいろな視点で考えてみるのもおもしろい。

なぜなら、アタッチメントスタイルはホメオレーシス的にできるものだそうだからである。

ホメオレーシスとは、経験によって「水路づけられてゆく」ものなのだと本には書いてあった。

だからこそ、幼少時にアタッチメント(愛着形成)がうまくいかず、愛着障害となり、それがあらゆる精神疾患の原因となっていても、変化すること、させることは可能なのである。

それは回復の可能性を意味している。

残念ながら、水路がゆっくりと、時間をかけて作られるように、アタッチメントスタイルも同様のようではあるが。

あらゆる経験を今日も私たちの脳はとりこみながら、アタッチメントスタイル、つまり、私たちの感情や認知という言う名の液体の通り道を少しづつ、水路づけているのだろう。

ちょうど私が、思いや考えを言葉にすることを「どうせ伝わらない、また伝わらない」と思って諦めて何度絶望しても、言葉にし続けなければ、絶望しなくて済む可能性を作ることすらままならず、絶望の風景は変わることがないと気がつき、わずかに水路が変更されたように。