Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

ナラティブセラピー

「ナラティブ心理学セミナー」という本を読んだ。

ナラティブとは、自分の人生を物語にして話すということ。

それを通して、人生のなかに単なる事実の積み重ねとは違う「意味」を作り出してゆくこと。

そのようなものらしい。

しかし、トラウマ的な出来事や危機的状況からは「意味」が生成されないという。

「意味」の生成にはいろいろな事物(出来事、人々、計画、目的、目標、価値、信念など)の支えが必要なのにもかかわらず、それらの複合的な設定の全てがトラウマ的な出来事によって、ガラスの破片のように粉々になるから。

いろいろな事物が鎖で繋がれているときに「意味」はうまれ、それらの連なりが「ストーリー」となる。

つまるところ、心理療法の実践とは「ストーリー修復のレッスン」らしい。

 

トーリーの構築は具体的にはまずは本のように3〜8章程度に人生を分けることから始まる。

次に、以下の鍵となる8つの出来事を考える。

1 絶頂体験

2 どん底体験

3 ターニングポイント

4 もっとも古い記憶

5 幼児期の記憶で大事だと思うこと

6 思春期青年期の記憶で大事だと思うこと

7 成人以降の記憶で大事だと思うこと

8 それ以外の記憶で大事だと思うこと

更に、重要人物、未来の筋書き、ストレスや課題、宗教観や政治観や人間の価値はなんだと思うか、人生の基本信条のような個人的イデオロギーと、それらを抱いたきっかけや理由を考える。

最後に、それらを通して、生まれたストーリーを振り返ってみたときに、全体の通奏低音となっている人生のテーマを見て取っていく。

 

私も、自分でやってみるかとしばらく真剣に考えたが、章に分けることすらままならなかった。

幼稚園はどこ、小学校はどこ、というような履歴書的記憶はあるし、しっかりしてるのだが、逆に言うと、それしかないのである。

断片的でやたら詳細な記憶が散らばるようにあるにはあるが、章にすらならない。

ひとつひとつの短編がぽこっ、ぽこっ、とあるだけで全体的なストーリーとして連なっていかない。

解離してるってこういうことなんだなと実感しながら、びっくりしながら、同時に私は私にもどかしさを感じた。

ナラティブは単なる記録ではない、ストーリーなのだ。

私には記録しかない。

 

私は彼のことを想起するとき、一番はもっと話したいという欲求があったし、いまもあり続けている。

これは彼に会ってから、ずっと変わらない。

しかし、実際には、私は私の話をした記憶がほとんどないし、話すことも思い浮かばない。

でも、ことあるごとに話がしたいと私は言っていた。

話ってなに?話したらいいよ。

彼が目の前でそう言っても、はて、なんなんだ?と私は不思議な気持ちになったものだ。

それでも会話はなにかしらあるもので、気付けば、私はいつも彼の話を聞いていた。

まさに上記のようなストーリーとしての彼の話を。

私は彼の人生年表が書けるほど、色々な話を聞いた。

聞いているときはふーん、そうなんだあくらいの思いしかなかったが、何故、私があんなにも、彼と話したいと思っていたか、今ははっきりわかる。

話したい、は、聞きたい、だった。

彼のストーリーは同じような傷を持つ私の語りえぬストーリーの役割も果たしていたのだ。

私はそれを聞きたかった、話したかったのだろう。

 

彼は私といると、なぜか自分のことばかり話してしまって意味がわからないらしかった。

こんなことは普段はないのに、お前といるとき、俺はおかしい。怖い。気持ちが悪い。お前といるときの俺は虚像だ。

最後に会ったとき、彼はそう言っていた。

もしかしたら、それは、私が、彼に話をさせていた側面があるからなのかもしれないと、ぼんやり思う。

なんらかの見えない力が働くかのように。

私はまだ私のストーリーを語ることができない。

私なりのトラウマ治療の入り口に立ったばかりなのだ。

 

明日は、ローゼンメソッドという、身体に触れるカウンセリングのようなものを学んでくる。

身体にも感情の記憶があり、それが筋肉の緊張をもたらし、ときには姿勢までもを変えるというようなことがローゼンメソッドの本には書いてあった。

身体のどこかに記憶された感情がタッチでそっと蓋が取り払われ、泣いてしまう人もいるらしい。

ちなみに私は慢性的に左の首が痛いのだが、その部分、斜角筋は通称「悲しみ筋」、感情を抑えるのに使う筋肉だそうだ。

本を読んでから、首をめぐりずむ(蒸気が出るアイマスク)の首パッドタイプを使い、あたためながら眠るようにしたら、以前よりは入眠が早くなった。

気のせいでもプラシーボでも構わない。

私にとっては、これは本当にありがたいことなのだ。

次回にローゼンメソッド体験の感想を書けたらいいなと思っている。