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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

ローゼンメソッド

あなたはセラピスト向き、今すぐなれる、なるには難しくない。

私はそのように言われたことがある。

1人目は私のカウンセラーである先生。

1度目のカウンセリングでそう言われた。

2人目は新幹線で隣の席だった解離の研究をしている女性。

話を少ししただけでそう言われた。

3人目はローゼンメソッドのワークショップを共に受けたセラピストさん。

人に触れるという体験ワークをしている私の姿を見て、そう思ったと言う。

 

あらゆるジャッジがなく、ただそのままを見つめる人が他者の身体や筋肉に触れる。

そのときに触れられた側に起こる微細な肉体の動きは、肉体のなかに閉じ込められた感情を浮かび上がらせる。

端的に言えば、それがローゼンメソッドである。

しかし、それがどれだけ難しいか、は日本にローゼンメソッドのセラピストが3人しかおらず、更にはセラピストを養成できるトレーナーはいないことからも明らかだろう。

ローゼンメソッドのセラピストになるにはおそらく私が調べた限りでは、セラピストのなかでも難易度が最も高い。

日本に教える場がないため、アメリカに行かねばならない。

行っても受講できる人は理学療法士やマッサージの資格がある人のみで何年もかかる。

つまり、経済的、時間的、資格的にも限られた人だけだ。

でも、難しいのはそれだけではなく、むしろ「あらゆるジャッジがなく、ただそのままを見つめる」ことができるかどうかなのだと思う。

 

音叉は不思議なものだ。

ひとつの音叉を鳴らして、似た周波数の音叉に近づけると、鳴らしていないほうまでもが共振して、共鳴しだす。

ローゼンメソッドのセラピストには、触れながら相手の周波数を感じ取り、触れながらその周波数に近い自らの音を鳴らし、触れながら相手が共鳴しだすのを待つ、特殊な音叉としての資質が必要なのだ。

触れられているだけなのに感情が浮かび上がるのは、超音波洗浄機にいれたメガネの汚れが振動で浮かび上がるのと同じ仕組みで、音叉の発する音に震えて浮かび上がるのだと私は思う。

その音は恐らくは、何が起きても、何があっても私はあなたの敵ではないのです、という安心の音。

だからこそ、相手の音叉に似た周波数の音を出さねばならない。

違う周波数では緊張感だけが呼び覚まされるからだ。

そして、その音は、セラピストの在り方とタッチのみで発する必要がある。

 

3人の治療者がつかの間に私に見出すセラピスト性とはまさにこの似た周波数を探し、音を発するような能力なのだと、先生は言った。

これは、私だけではなく、ある種の異邦人、そして解離性障害の人が持つ能力のようである。

ローゼンメソッドを生み出したローゼンさん自身も高橋和巳さんの言う異邦人である。

幼い頃から誰かの中の見えないものを見る能力があった彼女のエピソードは本にも書かれている。

見える、わかる。

しかし、他人にはそんなこちらは見えず、わかられることもない。

ただでさえ、環境的に異邦人なのに、上記のことがあると、その異邦人性は二重になる。

 

実際にローゼンメソッドはセラピーとして有効だろうという手応えが私にもあったし、学ぶ人も多くいるのだから、彼女の功績はとても素晴らしいといえる。

しかし、私が気になるのは、ローゼンさん自身は自分と同じレベルで自分をわかってくれるような人に出会えたのか、ということである。

二重の異邦人性をまといながら(難しい時代のせいでいくつもの国に住んでいるから、実際は三重、四重だろう)多大な功績を残した彼女のセラピストとしての人生を私はずっと考えている。

彼女のなかにある深い悲しみや苦しみを浮かび上がらせる人はいたのだろうか。

それとも彼女にはそんな感情はなかったのだろうか。

 

ちなみにローゼンメソッドでは、私は恐怖が浮かび上がってきた。

理由はわからない、似たような感覚だった記憶も特には思い出せない。

私が解離しているからなのか、それとも思い出せないくらいの昔に身体に閉じ込められた感情なのかもわからない。

ただ怖くて、怖い怖い怖いしか口から出てこず、涙が出てきた。

実に奇妙な体験だった。

どこからやってくるのか、何故それがやってくるのかわからぬ感情がやってくる。

しかし、感情は昂ぶるものの、だんだんと通り過ぎ、その場で私はひとりではなく、どうですか、と尋ねてくれるセラピストが私に触れ続けている。

通り過ぎたあとはうとうとするほど、リラックスする。

やってくる感情は「いま」のものではなく、また「そのとき」のようにひとりぼっちではないということをクライアントはそこで身をもって理解し、体験するわけである。

これはまさにPTSDの治療とおおまかな流れは同様だ。

 

私が何を怖がっているのかは短いデモセッションではよくわからなかったが、たとえ、あれが長くてもよくわからなかっただろうという気はする。

恐怖の対象がわからないと、私の中のあの恐怖がもう解消されたかもわからないのが非常に残念ではあるが。

ただ、あの恐怖がなければ、私は私ではないのかもしれないなと、どこかでそんな風に思う。

だんだんとわかってくるようになるのか、そうではないのかはまだわからない。

この時点でもいえることは、ローゼンメソッドは容易に嘘をつく思考ではなく、肉体から沸き起こるイメージや感情なので、自分を知りたいという人には効果的だろうということである。

 

ローゼンメソッドのワークショップは、その手法だけではなく、ローゼンさんの人生そのもの、セラピストとしての資質、在り方、そんなものをたくさん私に投げかけてくる貴重な体験だった。

気になる人は全く恐ろしくないセラピーなので(ただ寝ちゃう人もいるらしい)ぜひとも受けてみるか、ワークショップへ足を運んでみてほしいと思う。