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Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録 解離性障害とともに

無題

カウンセリングでこの頃のことを話した。

私は最近、なにも感じないときが増えている。

いらっとしたり、悲しんだりしたような出来事の「設定」が、以前よりもはっきりと見えるようになったからだ。 

これは一度、掛け算がどういうものかわかると、数字が変わっても、掛け算の問題は解けるのと同じで応用が効くので、あらゆるシチュエーションでも基本構造が同じなら見えてしまう。

一度解けてしまうとどのような問題もあっけない。

だから何も感じないのである。

 

世の中には人の数だけのいろんな「設定」がある。

私は昔からその人の持つ「設定」がある程度、見えていた。

だからその「設定」からはずれないように、適切に振る舞うことができる。

「設定」とは目に見えない枠のようなものである。

枠の中にいる人は枠も、枠の外も見えない。

外からは枠が見える。

昔はその枠にいらいらしたり、なんで?と思ったりすることもあった。 

だから、その度に、枠の構造の脆い点や改善すべき点を指摘してしまっていた。

しかし、いまは枠のでき方や、枠の素材までもがおよそわかってしまうので、いらいらすることすらないし、どのような枠であれ、当人にとってはできるだけ維持され、温存されることが望ましく、改善を望む人などはひとりもいないということもわかった。

(そもそも枠が見えてないのだから、当人には改善もなにもないのである)

だから、私はこの枠が見えるちからがあっても、結局なにもすることがないように思うし、全てがそれで完結しているように思うし、ぽっかりしている。

そんな話をした。

 

先生は、通常のカウンセリングを離れて話すけど、あなたがセラピストに向いている理由はまさにそれなのだ、といった。

「設定」、「枠」、「物語」、「世界」、これまでカウンセリングの場でかわるがわるあなたが表現を変えて話してきたそれらのもの。

それが見えるのは何故だかわかる?

そう聞かれ、私は答えた。

私がそれらの中にはおらず、いつも外側から見ているから。

その通り、それができる人はなかなかいないんだよ。

そしてね、あなたの言う通り、その設定は維持せねばならなくて、それで問題のない人はそれでいい。

でも、カウンセリングやセラピーの場に現れる人はその設定が崩壊しかかっているんだ。

だから、その崩壊を見守るのがあなたの仕事なんだろうと思う。

設定が見えている人に見守られているだけで、人は安心して崩壊できるんだよ。

先生はそう言った。

 

崩壊しなくては、再構築はできない。

過去はなにひとつ変えられないが、設定が崩壊し、新たなる設定の再構築が出来上がる時、過去の見え方が変わる。

過去の捉え直し、書き直しができる。

セラピーとはその崩壊と再構築を見守る仕事。

崩壊の不安と混乱と恐怖、再構築の不安と混乱と恐怖、それに付き合う仕事。

なるほどなあと思った。

愛着障害解離性障害のなかで、私が知らず知らずに身につけていた能力に合う仕事はセラピストの必須能力のひとつだったわけだ。

だから、私はそれらができていないセラピストやカウンセラーに対して、違う、と思うことがあったのだろう。

正解がわかる人にしか、不正解は指摘できない。

そして、不正解を正解と信じている人には本当の正解は不正解にしか見えない。

以前はそれもわからなかったから、私はその当たり前のトリックと取っ組み合いをして無駄なエネルギーを使っていた。

 

私は、いま、ただただすごいな、と思っている。

愛着障害解離性障害の人の多くは過剰同調性を持つが、私と同じ能力を持つわけではない。

しかし、私が私の両親のもとに生まれて愛着障害解離性障害となるような育ちでなければ、この能力が伸ばされることもなかっただろう。

また、私が愛着障害解離性障害だということに気付くきっかけになった彼に会っていなければ、私は私の能力に全く気付かぬまま、一生を終えた可能性が高いだろう。

人生は、時間や空間まで組み込んだ、とてつもない確率で起きる全く予想もつかない出来事の数々でできた不思議なパズルのようだ。

私は今、そのパズルを眺めている。

それが、私の「設定」「枠」「物語」「世界」なのだろう。

そして、こうして眺めることそのものが過去の捉え直しなのだろう。

私の「設定」「枠」「物語」「世界」もまた崩壊から再構築に向かっているのだ。