Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

ハコミセラピー ワークショップ1

昨日はカウンセリングだった。

今、カウンセリングは2週に一度のペースにしてもらっている。

最初の頃はカウンセリングが近くなると言いようのないそわそわ感が出て、2週に一度から4週に一度としたのを思い出す。

2週にしたのは、4週あると気づいたことの全てを話せないからだ。

実は2週でももはや半分も話せなくなっている。

気づきと理解のスピードが上がっているからだと先生は言う。

これは身体に圧力を感じる時(私は実際に風が吹いているときのような感じで物事に圧力や温度を感じる)にそれは何なのかとフォーカシングする癖がついたせいもあるだろう。

今まで読んできた、聞いてきた、勉強してきたことと実際の体験が、身体に感じる力を言語化することで結びついて腑に落ちてゆくのだ。

それはまるで、方々で散り散りにスカイダイビングしていた人たちが、空中で出会い、手を繋いで、バルーンを膨らませ、地上にゆっくり降りてゆくかのようだ。

そこでは私はその様子を写真に収めようと連写しまくるカメラマンなのである。

しかし、私は実際には写真に撮ることはできない。

私のカメラもメモリも脳の中だから。

そして、残念なことにメモリの容量が圧倒的に少ない。

できるだけ、と思いながら文を書くがそれをしてもなお、追いつかない。

私たちはみな、どのような人生であれ、本当は恐ろしく膨大な量の「感じ」を感じながら生きている。

それにどれだけ気づくか、言語化できるかの個人差があるだけで。

 

先週末は土曜日曜とハコミセラピーのワークショップだった。

ハコミの中で重要なエッセンスであり、大前提の「ラビングプレゼンス」と「マインドフルネス」がテーマである。

マインドフルネスは普段絶え間なく、大きな声で話し続ける思考や意識やマインドの声のボリュームを少しだけ下げ、感覚や無意識の小さな声に耳を傾けることができる状態を指す。

感じていることにジャッジをせず(ジャッジは思考の仕事だから、思考に仕事をお休みしてもらう)ひたすら感じていることだけをトラッキングするときにだんだんとその状態はもたらされてくる。

ラビングプレゼンスは対象者の存在から観察者が何らかの「快」を感じることで、対象者がこの人に今、私の存在は認められている、愛されていると感じることができる、というものだ。

簡単に言えば「以心伝心」ということだなと私は理解した。

相手に快や不快を感じるとき、その相手もまた「自分からこの人は何らかの感じを感じている」と不思議に分かる人間の仕組みを利用したラポール形成テクニックの一つと言える。

しかし、テクニックと便宜上、書いたが、ラビングプレゼンスはテクニックではない。

人間に備わった本能だとも言える。

 

ワークショップでの初めてのラビングプレゼンス体験は目を閉じて対象者の前に座り、マインドフルネスになってから、一瞬だけ目をぱちりと開け、相手を見て、また目を閉じて、感じるに任せることを3人にやることだった。

そんなことくらいだけで感じることってあるのかなと説明を聞いているときは思っていたけれど、やってみると不思議なほどにあった。

一人目には私は春の庭を感じた。陽光が射し、手入れされているというよりはナチュラルな野原のような庭だ。小さな白や黄色の花が咲いている。そこで私は花を摘んでもいい、寝っ転がってもいい、駆け回ってもいい。そんな自由で暖かい感じがした。

相手は私に娘のような愛おしさや可愛さを感じたという。そしてそれを守らねばならないというエネルギーが湧いてきたと。

それをシェアしあって、私たちは私が彼女の中で子供のような気分だったから、そして相手もまたそれを感じていたのかなと話し合った。正確にはどちらの気分が契機なのかは定かでなく、相互作用なのかもしれないが。

二人目には私は音が聞こえてきた。よく通る音。音楽だ。演者が相手なのかどうかわからない。ただ音楽を私も楽しく聞いている、知らない曲だった。

驚くことに相手もなんと昨日聞いていた曲が浮かんできていたと言う。その曲をYouTubeで教えてくれたので私は帰宅してから聞いた。アルバムの5曲目だったと思うと次の日に伝えたらすごく驚いていた、彼も思い浮かべていたのは5曲目なのだと言う。

三人目には私は海が見えた。静かで穏やかな海だ。涼しい。カモメなのか海鳥なのかわからないが、1羽が空をゆったりくるんと風に乗って旋回している。

この話を聞きながら相手が息を飲むのがわかった。相手もまた見えているのは海だったそうだ、やはり穏やかな海。

私はこの経験から、人には感じようとさえすれば、どのような相手にもチューニングできる力、脳の中の不思議な居場所を共有できる力がそれぞれにあるのではないかと感じた。

そして、この次の日には、ラビングプレゼンスを体験した人とは、なんだか相互に普通に会話ができるほど、距離は近づくのだった。

 

私が初めてこのラビングプレゼンスを意識的に強く感じられた時が、青の世界という記事に書いたことなのではないかと思う。

通常、このラビングプレゼンスというのは、子供とその養育者で最初に体験するものだろう。

だからこそ、人に安心感や信頼感をもたらす効果があるのだ。

しかし、養育者との間でこれを体験できなかった人が通常と違う脳の中の世界の住人、異邦人となる。

これを心理学上のわかりやすい言葉で書けば「基本的信頼感」がない、愛着障害ということになる。

さらに、厄介なことに、そのような異邦人の世界は、異邦人にしかはっきりとは見えないので、異邦人は通常、何か問題が起きない限り、なかなか観測されることがなく、またその理解のある治療者でなければ、異邦人だとも特定できない。

異邦人である私は、その私の世界を、問題が起こる前に、同じ異邦人である彼に偶然に観測されてしまった、そしてそのこと自体が問題となった、のである。

より正確に書くなら、私はそこで、私の存在を初めて観測された、という心からの安堵感と幸福感があった、それを私が恋愛感情であるとアウトプットしたことが問題となったのだ。

彼も同じようにアウトプットしたのか据え膳は食べてあげないとまずいのかなあという程度の気持ちだったのかまではわからない。

ただ、そうして彼と過ごす時間に得たその感覚が、それまでの私の通常の世界での「擬態」、そういうものだと思っていた私の「枠」「前提」「世界」のようなものをことごとく崩壊させたのだ。

私はもう擬態もできないし、もとの「世界」には帰れない。

それはもうなくなってしまったのだから。

これで、ようやく、私は過去の世界の私のいた場所と、新たな世界での現在位置、現状の把握だけはできたのだろう。

そう、私は帰れないのだ。もしかして帰れるかもと心のどこかで思っていたけれど…

ワークショップでの発見はまだあるのだが、長くなってしまうので分けることにする。