Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

ロングネックレス

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私は人の相談事を延々と聞ける。

内容が嘘であろうと誇張であろうと自己弁護であろうと、構わない。

そして、それはだいたいすぐにわかるが、全く気にしない。

なぜなら、それが今、その人の話したいことであり、聞いてほしいことなのだから、話を嘘であるとか誇張であるとかそりゃあんたが間違ってるよとか指摘することはかえって話をややこしくしたりするだけでマイナスにはなれどプラスにはならないからである。

うん、そうなんだ、そう思うんだ、そうかあ。

応答はこの4語で事足りる。と書くと、私がやっつけ仕事をするように人の話を聞いてると思われるかもしれないが、ちゃんと聞いている。

ちゃんと聞いているから、このような応答しか出ないのだ。

聞いているとだんだんと、その人の構造、枠、世界、考え癖、コアビリーフが見えてくる。

普通の人はひとしきり話し終わって満足すると途端に我に帰り、まずは私がその話を聞いてくれたことに感謝を示す。

私は「見えてくる」ことが楽しくて聞いているだけなので、こちらこそ、と返す。

ここで私は一回だけ相手に訊ねる。

さっきの話さ、〇〇だと思うって言ってたでしょ、それって△△とも言えるよね?

 

お好み焼きを焼くときは最初に焼いた方とまだ焼けてない方をなんて呼ぶのかわからない道具(コテ?であってるのかな)でひっくり返す。

最初に焼いた方というのは本人の意識と考えが及んでいる部分だ。

まだ焼けてない部分は生焼けだと人は本能的によく知っている。

だから、その状態では食べないし、どうしても自力でひっくり返せないとき、ひっくり返す勇気がないときなどに、人はお好み焼きをいつまでたっても食べられないから悩むのだ。

私はひっくり返すための道具を持って、一瞬お好み焼きを持ち上げる。

ひっくり返しはしない。

すると不思議なことに彼ら、彼女らは笑い出す。

生焼けな部分とよく焼けている部分は表裏一体であり、今まで生焼けだと思い込んでいた部分も、もうだいたい十分に火が通っていて、あとは焼き色がつく程度でおいしく食べられると気づくからである。

 

しかし、なぜだろう。

たくさんの人の話を聞いても私は私のような人に会ったことがないのだ。

私は私のお好み焼きがどの程度焼けているのかすら、把握できていない。

お好み焼きになるはずの小麦粉や出汁やキャベツが入った液体を私は鉄板に流し込んでいるのかすら怪しい。

そもそも、私はお好み焼きを作っているのか?作りたいと妄想しているだけなのか?準備段階で混乱しているのか?

わからない。

私が私の話を聞くとき、私なら一体どうするのだろう。

そんなことをリンク先を見ながら考えていた。

 

こんにちは、rivedroiteさん、私は37歳の女性です。

私は深く悩んでいます。ただ、何に、悩んでいるのかと言われると難しいのです。

悩みがよくわからないのです。

たくさんの、ばらばらに散らばった、いろいろに、悩んでいるような気がします。

しかし、それらの一つ一つを見ると「どうでもよくない?大した話じゃないし」と醒めた頭で思うのです。

一方で、全体を見ると「一体どこから何をどうしたら!!!」と半狂乱になって過覚醒状態に突入です。

rivedroiteさんならどうしますか。

こんにちは。質問ありがとうございます。

一つ一つはどうでもよくて大した話ではない、けれども、そのばらばら、いろいろを全体として見るときに大変なことになっている気がするのですね。

だとするなら、一つ一つは決してどうでもよくはないのかもしれません。

むしろ、その一つ一つをどうでもいいと見做していたことが大変なことにつながっているのかもしれません。

一つ一つの出来事に対して、どうでもいい、と思う気持ちはどのような感情で出来上がっていますか。

諦め、怒り、悲しみ、憎しみ。どれもでしょうか。どれかだけでしょうか。それぞれの出来事によって違うでしょうか。

出来事自体ではなく、あなたはその感情たちを「大した話じゃない」と抑圧してきたのかもしれないですね。

私ならその感情を一つ一つ、大したことだった、大変なことだった、と供養するように拾い集めていくような気がします。

ばらばら、いろいろたちを集めて、素敵なロングネックレスにでもしてはいかがでしょうか。

それがあなたの人生なのですから。

 

そうか、私は、私の相談事をもっと延々と聞いてあげてもいいのかもしれない。

誰かにするように。