Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

香り

https://www.tjapan.jp/BEAUTY/mandy-aftel

 

私には憧れの職業がある。調香師だ。

私の鼻は香水屋で端から端までの香水を嗅いでも、鼻がバカにならず、しかも香りを覚えている。

香水屋に行くと店員さんによく驚かれる。

私は昔から〇〇の匂いがするとうっかり口にしては、周囲の人にぽかんとされ、そんな匂いしないよ、と言われた。

そうかなあ、するんだけどなあ、と思いながら、私は「気のせいかも」と笑ってごまかす癖がついた。

 

私の感じるものは、他の人には感じられないらしいということに私は本当に小さな頃から気が付いていた。

母は私が感じたことを言うと、なんというんだろう、引きつったというか、張り付いたというか、そんな顔になり「理解できないこと」に対し、なにやら言うのであった。

だから、私はだんだんと言わなくなったし、言っても意味がないのだと思うようにもなった。

小さな私に対して、周囲の大人が下す判断は「感受性が強過ぎる」だった。

漢字で感受性と表記されることを知るはるか前から、私はカンジュセイがつよいとあちこちで言われ続け、通信簿にもそう書かれ続けた。

どうしたら強過ぎなくなるのかを考えたが、どうにもならなかった。

 

調香師とは感受性と想像力と実験と分析の仕事であり、芸術家でもある。

存分に、惜しむことなく、畳んでいた羽根をふんわりと広げ、そよ風に震わせたり、もしくはその羽根で風を作り出したりすることができる自由がある、そんな職業のように私には感じられるのである。

まあ、なったことはないので、理想と現実は違うのよ、あなたは夢を見ているわと言われたらそれまでなのだが。

 

リンク先の記事を見ながら、全く知らない香りに思いを馳せる。

知らないということは脅威となり、不安の種となり、恥となる場合も多いけれど、楽しいことでもある。

知らない香り、知らない食べ物などは更に楽しい。

何故なら、誰かには素敵に感じられても、誰かにはノーサンキューだったりするからだ。

その差もまたとても楽しいのだ。

香りは食べ物よりも好き嫌いに大きく差が出るように思う。

だから、その分、余計に楽しく感じられるのかもしれない。

 

以前、ギャラリーで見た展示を私は忘れられない。

私が小さな頃、香り玉という小さな粒が小瓶に入って売られていた。

大抵は甘い偽物の果物の香りがした。

それが白いギャラリーの真ん中に山となっていた。

直径何ミリというような粒でできた山。

むせかえるようなケミカルな香りの山はギャラリーを出てもなお、私の嗅覚に残り、靴底の溝に何粒か入り込み、とにかく私は圧倒されたのだ。

香りの攻撃性と儚さと美しさとグロテスクさが見事に表れている作品だったと思う。

香りだけではなく、本当は全てのものがそういう要素をふんだんに持っているんだよなと感じた記憶と、あの香り玉の甘い甘い香りは今もセットだ。

 

いま読んでいる脳の本に香りのことが書いてあったために、昨日はほとんどの時間をこんな風に香りのことを考えて、検索していた。

それにしても、調香師は本当に素敵な職業のような気がする。

生まれ変わったら調香師になりたい。

生まれ変わらなくてもなりたい。

攻撃的で儚くて美しくてグロテスクな、とびきりの香水を作ってみたい。

意外と爽やかで優しい香りのような気がする。