Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

鬱になる才能

遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい - シロクマの屑籠

 

この文を読んで、なんだか、妙にざわざわした。

遊びや趣味とうまく付き合うことは大事だし、それは本当に人生を豊かにするひとつの方法には違いないと私も思う。

しかし、一応の趣味や遊びがあっても、そこで本当に存分に遊べる人は、それを子供の頃にきちんとしたことがある、するだけの環境が整えられていた人だけなのだ。

言い換えれば、それはつまり、君は遊んでもいい、楽しんでもいいと承認をされたことのある人、そこで遊ぶ楽しさを学べた人と言える。

例えば、努力は報われる、働かざる者食うべからずなどという言葉を呪いのように日々聞かされたり、ちっとも幸せそうじゃない親や働きづめでも経済的に困窮している環境で育つ子供は自分が遊ぶことにも罪悪感を感じ、楽しむことにも引け目を感じるようになる場合がある。

そんな調子で、もっと頑張らないと幸せになれないんだとか、親のように頑張らなければならないんだとか、頑張って親に心配かけないようにしなくちゃいけないんだとかのメッセージを環境から受け取ってしまった真面目で素直な人が、ただただ頑張り続ける人である。

遊べない人、趣味がない人はそのようにして「楽しんではいけない」という禁止令を知らず知らずに持たされて、しかも持たされていることに気づかず、人生に疲れ切って、行き詰まって、鬱になったりしてしまう。

闇雲に頑張り続けることができる人などただの一人もいないからである。

そのような背景を的確に捉えた時「遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい」と言い切るのは、毒や呪い状態の人に薬や休養という名前のホイミをかけても回復はしないといっているようなことに近い。

瀕死だったらホイミは必須だ。でもある程度回復したら、その毒状態を無効にするキアリー(解毒)なりシャナク(呪いを解く)なりの魔法が必要だ。

そういう人にとっては、本当にしたいことや楽しいと思うことを見つけることは、通常の状態に戻ってからとなる。

そこからやっと芽を出し始めるのだ。

 

大多数の子供達は通常、ホイミキアリーシャナクも養育者からかけてもらうことで、弱った時でもそのようなものがあるから大丈夫なんだ、と安心しながら育つ。

基本的信頼感とはそういうものだ。

しかし、中には、キアリーシャナクどころかホイミもろくに知らぬまま、育つ人もいる。

知っていても、それを自らにかける方法を知らない人もいる。

知っていても、それを自らにかけることを恥ずかしいこと情けないことと思って本当は魔法使いなのに戦士のように生きている人もいる。

だから、回復のために、道具箱に旅の途中で見つけた薬草やら薬やらアルコールやらを山ほど詰め込んで、依存症になる人だっているのだ。

満身創痍の彼ら/彼女らは痛みが紛れればなんだっていいし、それしか知らないのである。

所属欲求や承認欲求は、そのコミュニティなり、繋がりなりでホイミを掛け合いたいということとも言える。

しかし、ホイミを知らない人は「そこで何が起きているのかわからない」し、ホイミを禁止して超絶ハードモードでドラクエをしてる人はそこにいる人たちが「馬鹿みたいに見える」だろう。

ホイミを知らない人は、わからないだけじゃなく、もしかしたら苦しいかもしれない。

みんながフェイスブックの「いいね」やはてなの「スター」という名のホイミをかけてもらうことに注力している意味すらもわからぬまま、みんなのすることをなんとなく真似てひたすら他人に対して「いいね」や「スター」のボタンを押せばいいんだな、と思いながら押しているだけとなるから。

どこかしっくりこないような、仲間はずれにされているような、自分だけが違う種類の生き物みたいな気分を持ちながら。

これはちょっと想像するだけで楽しいわけがないことは多くの人がわかるだろう。

ホイミを知らない人はこのような流れののち、なんらかに所属することすらも煩わしい、意味がないと感じ、余計に孤独となる方向に向かいがちなのである。

 

世の中には色々な人がいる。

ここまでわかりきったことのようにホイミホイミと書いてきたが、全ての人がホイミを知っているわけでもない。

(一応、書いておくと、ホイミドラクエの中で体力が減った時に回復するための魔法の名前である。ドラクエも知らなかったら検索して…)

同じように、全ての人が人生でホイミ的役割を果たす趣味や遊びを知っているわけでもない。

そういうことを前提にすると、治療者は遊びや趣味が大事という以前にもっと大事な仕事があるのだと思う。

鬱になりたくてなる人など一人もいない。

そうなるまでの、その人なりの流れや背景が必ずある。

そして、だいたい、その流れや背景に、その人の持つ本当の「自己回復力」という名前の枯れることのない回復の泉が隠されている。

いいねもスターも真っ青になるほどの回復力とパワーの泉は誰の中にもある。

治療者は遊びや趣味がないのは弱点などという前に、その隠された泉をクライエントと一緒に見つけようとすることが大事なのではないか。

その泉さえ見つけることができたのなら、遊びや趣味はホイミではなく、純粋な楽しみとなり、他者や環境に依存した承認しあったり所属したりで得るホイミも不要となる。

マズローは生理欲求、安全欲求、所属欲求、承認欲求の先に自己実現欲求があると説いた。

とても有名なピラミッドの図で示されるアレだ。

しかし、晩年、5段階じゃなかった、その先に自己超越欲求があった、と言った。

迷路のような鬱の森に巧みに隠された回復の泉はきっと、その自己超越、超個の世界へワープもできる泉なのではないだろうか。

そう考えると、鬱になることはもしかしたらそれまで真面目に素直に生きてきた人に訪れる超個の世界へ飛んでいけるひとつのチャンス、タイミングなのかもしれない。

遊びや趣味がないことは弱点どころか、そのチャンスやタイミングのためには必須条件のようでもあり、更にはそれを期せずして手に入れていたのだから、素晴らしいことだ。

もはや才能と言っても過言ではないのでは?とすら思う。

そのチャンスやタイミングをつかめるように見守ることができる治療者がたくさんたくさん増えたらいい、私は心からそう思うのである。