Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

本当に?

去年、駅の広告に目が釘付けになった。

ドコモの広告の中にいる、その人は彼によく似ていた。

誰だ、あれは、と検索したら綾野剛ということがわかった。

私はテレビを見ないので、あまり芸能人を知らないのだが、綾野剛は近年、大人気のようで「蛇顔イケメン」なのだという。

蛇顔ってイケメンなんだ…という驚きと、私はイケメン好きだったんだ…という驚きに多少混乱したが、とりあえず新たな知識は得られた。

彼と綾野剛は私の脳内だけで似ているのか、実際に似ているのかはよくわからないけど。

 

というわけで、私はいま綾野剛がでている「フランケンシュタインの恋」というドラマを見ている。

そのドラマで「恋をするということは相手の幸せを願うこと」なる台詞がでてきた。

更に、綾野剛をみたいがために、Huluで検索したら「ヘルタースケルター」にも出ていたらしいので見直した。

これは映画館に観に行ったのに、綾野剛を覚えていなかったから、その当時の私に綾野剛はまったく意識に上らない存在だったようである。

ヘルタースケルター」を見直したら「最初にひとこと、笑いと叫びはよく似ている」という台詞から始まった。

このふたつの台詞は全然違うけれど、どちらも、聞いたときに「むむむ?そうか?そうかも?うーん…どうだろ」というなにかひっかかる感覚があった。

この感覚はどこかで感じたぞ、はて…と記憶をたぐる。

 

彼は社会不安障害という病気だと私に言った。

本を読んで調べてみると、確かにそれによく似た症状はあるが、私には全然違うような気がした。

そのひっかかりと近い。

社会不安障害における不安とは主に「恥」の感覚である。

なんらかをうまくできなかった失敗から恥の気持ちがうまれ、それが恐怖となる。

それらをひっくるめて「不安」としている、実に分かりにくい病名である。

失敗をしても次もあるよ、成功までのプロセスだよと幼い頃から周囲が言う環境で育つ人には失敗は恥にならない。

次に向け、頑張るための通過点に過ぎないのだ。

恥になるときはどんな育ちか。

失敗した時に、責められたり、揶揄されたり、怒られたり、無視されたり、できたことに対しての正しい評価をされない時だ。

最悪なのは、その状態が続き、こんな自分はだめなのだと思わされ、罪悪感まで抱き、常に頑張ってなんとかしてきた場合だ。

しかし、人生には頑張ってなんとかできることと、そうではないことがある。

そこで、ぱたりと病気になってしまう。

社会不安障害があるときから急に起こるのはそういうことなのだろう。

 

この文脈でいえば、彼はまさしく社会不安障害なのかもしれない。

けれども、どうだろう。

家庭の中での責められたり、揶揄されたり、怒られたり、無視されたり、正しい評価をされないというのは、親の躾や期待感から、マイクロマネジメントによる支配、心理的虐待までのスペクトラムで存在する。

彼の話の端々にはかなり強い罪悪感が感じられた。

罪悪感まで抱くのは、躾や期待をはるかに超えたレベルだ。

私はここまで考えた時に、彼は社会不安障害のような症状の複雑性PTSDなのではないかと思ったのである。

私の先生の見立ても同じだった。

 

私たちは日頃、いろいろな言葉を使い、いろいろな感覚を処理している。

でも、その言葉は本当に私たちの感じている感覚にぴたりと合った言葉だろうか?

恋とは相手の幸せを願うこと。本当に?

相手を自分の思い通りにしたいと期待し、支配し、生存戦略ととらえ、恋をする人もたくさんいる。

恋だと感じている気持ちは、支配欲や自己満足の場合もあるのではないだろうか?

笑いと叫びはよく似ている。本当に?

芸能人のゴシップや腹の立つ人をあざ笑う。

それは投影性同一視により、切り離した自分を相手に見る行為だ。

その意味で、笑い声は本当の自分の気持ちに気づいてという叫びとも言えよう。

笑いたくなる感覚は実は叫びたい感覚なのかもしれない。

不安だ。本当に?

それは恐怖かもしれない、罪悪感かもしれない。

さみしい。本当に?

それは我慢かもしれない、怒りかもしれない。

感覚と言葉が完全に結びつかないと、感覚は私たちの中をさまよい続ける。

感覚と言葉が完全に結びついたとき、腑に落ち、消化される。

それが癒し、と呼ばれるものなのかもしれない。

 

それにしてもこんなに考えこむなんて可笑しい。

私は単に綾野剛が見たいだけだったのに。

本当に?

ああ!私は別に綾野剛が見たいわけじゃないのかもしれないね。

彼に会いたいだけなのかもしれないね。

本当に?

どうなんだろう、今、私の中にある、この感覚はなんなんだろう…

自分に問いかけながら、私は私のなかの感覚と言葉をたくさん結んであげたいと思う。

これはそう、ぴったりの言葉があった。

素直になること。