Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

スイセイの話

土曜日はメール相談メンタルサポーター養成講座なるものに行った。

日曜日はトランスパーソナル学会の勉強会。

私は実際の人や状況を観察することを通して得たものによって、考えるタイプなので、とにかくよくどこかに行く。

日常的に強い緊張感を持っているがために、初めての場所は例外なく、ものすごく疲れるが、この「体感する」ことは私にとっては重要なことなのだ。

私のなかには、できる限りひとりでいたいという強い欲求と同時に典型的なフィールドワーカー的な欲求がある。

矛盾したそれらのために、私はどこかへ赴くときや帰るときに風景を見ながら「なぜ私はこんなところに…」と毎回思う。

だからなのか、居住している東京都のなかとはいえ、全く知らぬ駅に降り立つたびに、自分で確かに公共の乗り物に乗ってきているし、自分で申し込んだ会なのにもかかわらず、「運ばれてきた」という感覚しかない。

 

運ばれてきた。

そう思う時に、私は目には見えない流れにいる気がする。

私の意思やお金や時間などはあくまで補助のうきわのようなものだ。

私は流れのなかでわずかな意思を持ち、お金や時間を使っているだけに過ぎない。

そもそもの流れはどこからか来ている。

どこからかはわからない。どこに向かうのかもわからない。なんなのかもわからない。

ただ、そのような流れなのである。

忌々しいとも悲しいとも、快適だとも楽しいとも思わない。

流れているんだな、という感覚があるだけ。

私は流されながら、それを見ている。

以前よりはその流れは激しくなく、私は溺れそうになったり、溺れて記憶を失ったりはしていない。

その点が大きく違うが、流され、なにもかもがだいぶ遠くなってしまった。

本当になにもかも、だ。

 

私は何度も彼のことを書く。

しかし、それはだいぶ遠く、もはや見えないことである。

実際にあったことなのかも、自信がなくなるほどだ。

彼だけではない、家族や旦那さん、あらゆる知り合い。

皆、生きているが、私にはえらく遠いものとなってしまった。

彼以外はもともとそれほど近くもなかったのかもしれないが、なにやらますます、どんどん離れてしまっているなあと思うのである。

人は皆、無意識ではつながっているといわれるが、それはプラネタリウムで言われる最初の言葉のようなものだ。

「宇宙にはたくさんの星があります」

私たちは星なのである。

太陽系のようにいくつかの星がいくつかのルールでまとまる。

それは家族だったり、会社だったり。

 

冥王星はいまは太陽系ではないのだと言う。

冥王星の軌道は他の太陽系の星たちとはだいぶ違い、太陽系とはいえぬ、ということになったらしい。

太陽系の外には冥王星のような小さな星は1000個以上あるそうで、冥王星は太陽系の星たちより、1000個以上の星たちのほうに近い性質なのだという。

私は自分が冥王星みたいだなと思う。

いかにも太陽系っぽいようでありながら、軌道はいつもずれており、どこか変な印象で、属する場所が違う感じがしていたら、本当に太陽系とは違った冥王星

私にとって、家族やかつての友達とは、まさに冥王星にとっての太陽系のような感じなのである。

 

あるとき、彼は唐突に、俺は冥王星で、お前は水星だと言った。

私は完全に「???」となった。

なにを言ってるんだ?

結局、彼がこのとき、なにを言っていたのか、言いたかったのか、私はいまでもよくわからない。

彼は天体に詳しいわけでもないし、占星術なんて信じたこともないだろう。

私は、たまにこのことを思い出して考える。

私も冥王星だと思うんだけどなあ、と。

そして、私の軌道周期はどのくらいだろうか、とまで考える。

冥王星は248年中20年は海王星よりも太陽に近い軌道だ。

私の軌道もそんな風にして、ぐるりとまわれば、また太陽系と近くなることはあるのだろうか。

いま、ふと、ここまで書いて、彼の言ったスイセイを、私はいままでずっと水星だと思っていたが、彗星だったのだろうか、と思った。

考えてみれば、標準語では水星も彗星も同じイントネーションだ。

冥王星より外縁の彗星ならば、二度と太陽に近づかない周期を持つものもある。

離れてゆくのみで観測すらもできなくなる。

そうか、彗星、なのだとしたら、彼は正しいのかもしれない。

私は冥王星の近くを通り過ぎた彗星、そういうことを彼は言いたかったのか?

 

私は人々が私以外の人と普段どのような会話をしているのか、知らない。

基本的には天気や時節、ニュース、スポーツ、仕事、趣味、旅行あたりがメインだろうと思っている。

親しくなれば恋愛や家族などにまつわる話もするかもしれない。

私はそれらを話されるので、聞いてきたし、必要なときには私も話した。

しかし、彼の話は、時として、上記のような不思議な、本当に不思議としか言いようのない話であった。

彼がエメラルドで、私がギベオンだと言われたこともある。

私はギベオンを知らなかった。

ウルトラマンとかに出てくる怪獣かなと思ったが、調べたら隕石であった。

なんで、そんなこと知ってるの?と次の日聞いたら、知らないと言う。

お前はなにを言ってるんだ、と。

それは私の台詞のはずなのだが。

私には彼の話はいつも興味深く、でも、なにが言いたいのか、よくわからなかった。

私は気になったことは忘れないたちだ。

彼は確実にそう言った。夢ではない。

でも、なんだか本当は全部がそもそも夢だったのかもしれないような気もするのだ。

よくわからない話。よくわからない彼。

よくわからないから、私は調べ始めたのである。

調べると、不思議なことに彼だけではなく、なにもかもからどんどん離れてゆく。

そして、また不思議なことに離れるとわかることが増えるのである。

 

私はどこへゆくのだろう。

流されるように、ただひたすら軌道を進むように、どこかへ向かっている。

わかることをわかちあえる人は実生活では一人もいない。

ここに少しを書くことで、互いの光を観測し合う、同じような外縁系の星の人々が現れたのみだ。

私は、そうして、たくさんの情報を抱えながら、咀嚼しながら、なんとか進んでいる。

少し前、冥王星の写真をニューホライズンズが撮った。

その写真の冥王星にはハートが浮かんでいた。

冥王という名の割にかわいらしい。

冥王という名の割に月より小さい。

そんな冥王星を思い出すことは私が進むことなのである。

現実には私は彼に会う前と変わらぬ生活をしながら、現実ではないところではなにもかもから離れて行っている。

これは果たして回復なのだろうか、かえって悪くなっているのではないか、と思うこともある。

でも、彗星の軌道は誰も知らない。観測もしない。

だから悪くなっているとは限らない、そうとしか言えない。

彗星はただ進む。宇宙の摂理として。