Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

怒り

吉田修一が原作の映画「怒り」のDVDを借りてきたので見た。

見たいなと思いながら、読んでみようかと思いながら、結局、それをしてこなかったのだが、ようやくである。

私はあまり怒りを感じない。

それは抑圧されているからなのか、すぐに諦めてしまうからなのか、わからない。

そんな時期が長くあった。

怒れたらよいのかもしれない、と検索している頃にこのタイトルに出会った。

 

解離性障害複雑性PTSDも怒るべきところで怒れず、悲しむべきところで悲しめず、そんなことが降り積もった結果なのではないかと私は思う。

そんなふうに降り積もったものたちを人はトラウマと呼び、爆発処理班が不発弾を処理するかのごとく、セラピーをするわけである。

しかしながら、私にはやはり外側に向かう怒りはないのだ。

家族にも、彼にも、誰にも。

それは怒りの感情をスプリットしてるからですよ、解離してるからですよ、と専門家は言うだろう。

私にだって怒りはあるはずだ、と探してみたら、確かにあった。

しかし、それはすっかり形を変え、基本的に私を静かに守っているのだった。

 

私は家族のすさまじい怒りに触れながら育った。

もはや隠されたりオブラートでくるまれたりすらなかった怒りはありとあらゆる面に表出し、私はそれに恐怖した。

と、同時に私はその表出に確実に怒っていた。

激しく嫌悪し、見下していた。

あなたのその怒りは私のものではない、と、恐怖の中、いつも私は怒りを睨みつけていたわけである。

でも、私は戦わなかった。そこで同じことをしても無駄だと知っていたからだ。

繰り返される怒号、繰り返される無視、繰り返される繰り返される繰り返される。

そう、戦えば、繰り返されることもまた充分すぎるほど、知っていたのである。

私の怒りは、外に向かう攻撃は、こうして、きっちりしまいこまれ、すっかり私を覆った。

私は怒りと攻撃のエネルギーを攻撃されても平気なシェルターを作ることに換え、解離していった。

 

私は私の解離を嫌っていない。

困ったなと思うことは多い。

過覚醒、過緊張、慢性的な疲労感、ヒステリー球、左腕の痛み、不眠、生理不順というには不順すぎて、ないも同然のような生理、(婦人科にいっても、いつも同じことの繰り返しで原因も不明であった。いまでは過緊張が原因とわかっている。)

どれも大変なことだ。

特に最後のものは原因がわかると同時に私の身体はまるで子孫を残したくない、存在していたくない、生きていたくない、人間でいたくないと言っているようにも思われ、私はかなりダメージを負った。

でも、できる限り、他者を攻撃をしないことを選んだ私の精神をいま、私は心から尊敬してもいる。

 

彼の話をしよう。

彼は射精をしない。できないのだという。

昔からそうなの?と聞く私に、彼はそんなわけないでしょと言う。

特殊な性癖があるの?と普通なら聞きにくいこともあっさり聞く私に、彼はおまえ俺をなんだと思ってんのと笑う。

あなたのセックスについて女性たちはなにかいうの?昔の彼女には家から追い出されそうになったりしたな

いかないセックスはどんな感じ?詩的な感じ

あなたはいかないのに女の人がいくのはどんな感じ?こんな俺でも役に立ってるんだなあって感じ

ふうん

そんな会話をセックスのあとに私たちはした。

私は彼のなかには絶対的なルールがあるのだなあ、と思いながら聞いていた。

このとき、私はまだ、私の生理不順の原因は知らなかった。

でも、私は彼と同じなんだなと身体レベルで感じていたのだろう。

私は最初の頃、何故か彼とセックスをするたびに、というか、その最中に、生理になるのであった。

おかしいなあ…こんなこと今まで一度もないのになあとただ不思議に思っていたが、私は彼といる時、安心していたのだと、ある時、ふと気付いて、号泣した。

彼の過去の女性たちがどうであったかはわからないが、たぶん私とは全然違う感想だろう。

私は振り返ってみれば、彼にとても丁重に扱われていたのだと、そう思う。

彼がそうしていたと自分では感じていなかったとしても、だ。

 

彼の怒りは、私とは少し違う。

彼は母親の精神的な病の根底にはさみしさがあるのがわかる、だからなんとかしてあげたい、でもなにもしてあげられない、と言っていた。

彼はなにもしてあげられない自分に怒りを持ち、幸せになることを禁じているのだろうと私は思う。

なにもできない自分は存在してはならない、役に立たねばならない。

私が聞いたエピソードは他にも幾つかあるが、全て同じ構造で、このルールの方向を指し示す。

でも、彼の怒りは私にはなんて優しく、なんて強いのだろうと見えた。

その片鱗はセックスするより前から、私には見えていた。

彼はなんで結婚してないんだろう?

なんでお父さんじゃないんだろう?

こんなにお父さん向きの人、見たことない。

私は彼と話をするようになって、すぐにそんな風に思っていたから。

そんなことを私はそれまで誰にも思ったことがないのに。

私は彼の怒りが形を変えたものもまたとても尊敬していて、多分そこが一番好きなのだと思う。

それ自体が彼をがんじからめにしていたとしても。

ねえ、俺のなにが好きなの?

エネルギーみたいなもの

なんだよそれ

ん〜、なんなんだろう?

そんな会話をしたときには「なんなんだろう?」だったことが今更わかっても、もう遅い。

 

「怒り」の主人公は解離している。でも記憶はあるようだから、解離性障害ではなく複雑性PTSDのほうが近そうだ。

フラッシュバックもしている。

誰かの気持ちを読むのがとても得意だ。

きっと被虐なのだろうなあと感じさせる。

もし、私や彼が、怒りをそのままに持っていたら、主人公と大差のない人生だったと思う。

怒りと持ち前のある種の高潔さの化学変化によっては、私たちは主人公のようにもなり得たわけである。

でも、違う。

私はそのことを嬉しく思う。

そして、とても悲しくも思う。

結局、私たちはこの自らの素晴らしい選択を生かすことができておらず、いまだ、現実をさまよっているからである。

どうしたらいいのか?

まだ答えは出ない。

でも、過去の私が、彼の好きなところをわからなかったのにも関わらず、いまの私はわかるように、未来の私はこの問いの答えもわかるようになるのかもしれない。

それをわかったとき、私はやはり「もう遅い」と思うのだろうか。