Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

決める必要

月曜、火曜と、どちらも勉強の日だった。

グリーフケアについてとハコミセラピーのデモセッション。

どちらも楽しかった。

私は勉強をすること、それについてあれこれ考えることは大好きなのだと思う。

しかし、特に目の前の人にワークをするタイプの実践的(実戦的?)勉強をすると私は消耗しすぎるようだ。

帰宅の頃には異様にぐったりしてしまい、食べ物か眠りか、そのどちらか、またはどちらもを、猛烈に欲して、気がついたらソファで行き倒れている。

困ったものである。

 

通常、なんらかのサービスをする人は、それをすることで、なんらかのフィードバックを相手から受け取ることでエネルギーの循環があり、仕事を続けることができる。

サービスをするだけで、相手から受け取れないと、エネルギーが枯渇してしまう。

生活の足しとエネルギー源は別だ。

生活の足しがあってもエネルギーは枯渇するから。

私はどうも枯渇しやすいようである。

それは単純にエネルギーを使いすぎるからなんだろう。

 

よく恋愛系の心理学コラムなどに「受け取りが下手」「受け取り上手になる」とか書かれている。

しかし、私は正直なところ、受け取りが下手な人は男女ともにあまりいないように思う。

むしろ、受け取り上手過ぎて、普通ならキャッチしない/できないものまで受け取りにいく人が多いように見える。

だから、疲れるのだ。

難しい球を受けすぎて、そこに力を使うから、疲れて、球を投げ返せなくなり、難しい球ばかり投げてくるんじゃねえよ!このクソがああ!と最終的にキレるわけである。

そういう受け取り上手の人とセットになっているのは大抵、お子様な人である。

お子様な人はどんな球でも、どんなときにも相手が拾ってくれるという甘えが根底にあるので、投げたいように投げる、球を気が向いた時しか投げなくなるなどのパターンが存在する。

つまり、キャッチボールがなんなのかよくわかっていない。

どういう球を相手が取りやすいか、などは全く考えていない。

だから、お子様なのである。

 

受け取り上手がすることはなんでも受け取りに行くのではなく、範囲外は潔く受け取らないことであり、この範囲にこのくらいのスピード、軌道の球を投げて欲しいとはっきりと相手に言うことなのだろう。

それでうまくいかなくなるなら、それでよいのだ。

つまり、受け取り上手は、受け取り下手になる練習をする、相性の合う投げ方をしてくれる人を探すほうが幸せである。

そうではないと、相手はますますお子様になるし、自分がしんどくなるだけだ。

しかし、受け取り上手はお子様な大人に育てられた背景を持ち、お子様は受け取り上手すぎる大人に育てられた背景を持つことが多いため、まるでN極とS極のように引き合う。

共依存の仕組みとは端的にこういうものである。

 

アダルトチルドレン被虐者が向いている職業は感謝される仕事なのだという。

アダルトチルドレン被虐者は過剰なまでに受け取り上手になり、生き延びてきた人だ。

具体的なフィードバックなきままに、受け取りまくることだけを強いられて。

だからこそ、具体的なフィードバックがある仕事をすること、そのフィードバックの球の確かな手応えや重さが生きがいとなるわけであろう。

しかし、使用する受け取りのエネルギーが10なのに、フィードバックが5だったら、5の不足が一度で生まれる。

それが10回続けば50の不足である。

これを改善するには受け取りのエネルギーも5にするか、フィードバックを感じる感度を上げるか、専門性を上げ、受けるのはこの範囲の球と決めるか。

ということになる。

一番簡単なのは最後の方法であろう。

 

私は勉強を続けて行くなら、私のエネルギーをどういうふうに、どのように使うか、使いたいか、を決めることができるし、決めなくてはならないだろう。

同時に全く別のチャンネルで、エネルギーを与え合える関係性を作りたい。

それは一般的には友達、と呼ぶものだ。

エネルギーの枯渇から回復までは時間がかかりすぎる。

甘いものも食べ過ぎる。

これをなんとかしないことには、私の人生は同じことの繰り返しなのだ。

エネルギーの不足と枯渇をいったりきたり。

大幅な時間のロスである。

だいたい1日に対し、1日休む感じになるし、しばらくは本も読めない、最低限の家事しかできなくなる。

私は一人で過ごしているほうが安定していて快適、というのはこういうわけなのである。

一人だとエネルギーロスがない。

でも、24時間一人で過ごすには、目に見えないエネルギーはなくならなくとも、目に見え、ものを買ったりできるエネルギーのお金を得ることが難しい。

生きるのは大変であり、厄介なことである。