Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

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日々、何をしていたのかほとんど覚えていない。

今日はこれ、今日はこれ、と一つ一つ、どうでもよい予定をこなしているだけだ。

丸いつやつやの玉の上をこぼれ落ちる水滴のように。

 

心理学でよく言われる抑圧。

これは全員がしていることであり、普通である。

ある程度、抑圧がなければ、ハレとケなんて概念もそもそもありえない。

お酒を飲んで羽目を外したり、休みにどこかへ出かけたりが楽しいのも、普段の抑圧があるからだ。

しかしながら、その抑圧が過ぎてしまい、これはもうまずい、となった時に本能が解離を発動させる。

電気を使い過ぎてブレーカーが落ちるのとよく似ている。

抑圧するのは人間としての私、であり、解離させるのは動物としての私、だ。

人間としての私のキャパシティを増やして、強固にする以外、解離は防ぎようがない。

抑圧しない、なんて選択肢は現実世界を生きる上でありえないことだから。

でもいつだってキャパはギリギリだ。

この状態で増やすなんて無理難題じゃないか。

 

私に顕著な解離症状は離人感である。

理解はできるが、実感はない。

記憶はあるが、夢のよう。

意識はあるが、自分が何を思っているのかわからない。

世界はジオラマのよう、人々はジオラマの小さな人形のよう。

離人感を端的に言えば、そんな感じだ。

よくできた世界を私はずっと外側から見ている。

本物なのだろうけれども、偽物のように感じる。

そこにいる私も偽物で、ありきたりの言葉を発し、笑う。

もはや笑う振りは上手になり過ぎて、本当に笑ってるのと変わらない。

そうしておけば、とりあえず、生きて行けることを外側の私はよく知っている。

 

外側の私は一人でいる時にしか、世界に存在しないし、存在できない。

その一人の世界で私は泣くのである。

この世界から出られない。どうやっても、どうやっても。