Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

マイファーストセラピー

儲かってたって 死にかけてたって どうかしてたって 夏は暑い

そのようにスチャダラパーのボーズが歌うサマージャム2020。

その通りだ、夏は暑い。誰にだって夏は暑い。

知的障害があろうと、発達障害があろうと、精神疾患があろうと、複雑性PTSDであろうと、解離性障害であろうと、夏は暑い。

これは私にとって、かなり大きな気づきであった。

陽の光、ホットコーヒー、ストーブ、そんな皮膚からの刺激を通して、あたたかさを感じる脳の部位がある。

島皮質と線条体である。ここはあたたかさを感じると興奮する。

しかし、物理的な皮膚から感じるあたたかさだけではなく、心理的なあたたかさを感じた時も同じように興奮するのだという。

同じように寒さを皮膚から感じると反応する脳の部分がある。扁桃体である。

ここはストレス、不安や恐怖などのネガティブな感情を感じる部分でもある。

脳は賢いようで賢くないので、ここで、私たちはすっかりごまかされてしまう。

つまり、あたたかい部屋で過ごすと心まであたたかくなる、寒い部屋で過ごすと不安になる、という傾向が誰にもあるのだ。皮膚を持っている限り。

また逆に、心があたたまるとたとえ冬でもほかほかした感じがして安心して、心がショックで冷えるとひんやりした感じがして不安になったりするわけである。

これで私はわかった。

夏の暑さで人が解放的になる理由が。暑い島の人々がどこか自由な空気を身にまとっている理由が。

演歌で失恋をした人が北へ向かう理由が。緯度が高い地域で自殺率が高い傾向がある理由が。

 

皮膚は第2の脳と言われている。

それは細胞分裂が起きて、人が人という生命になってゆく過程で外胚葉という同じ部分が分化して脳と皮膚になってゆくからだ。皮膚は露出した脳なのである。

トラウマは身体に記憶されるということがわかってきたために、ソマティックな体を使ったトラウマセラピーはいくつも生まれた。

筋肉をほぐすボディワークが有効とされるのもそういうわけである。

特に一過性のトラウマではなく、長期のトラウマによる不安や恐怖でずっと緊張が起きていて、自身の筋肉がこわばったりしている複雑性PTSDやそれによる解離が強くある人はその筋肉の緊張に本人がまず気づくことからそれらのセラピーは始まる。

しかし、その肝心の不安や緊張はどこからきたのか、なぜ癒えないのかといえば、愛着を形成する3歳までにトラウマを受けているからだ。

3歳未満の左脳が機能していない時代に、皮膚感覚で恐怖をキャッチし、右脳でその感覚やイメージや体感だけを記憶しているのだ。

恐怖は筋肉にも影響するが、決して筋肉がキャッチしたわけではない。

まず、皮膚が文字通り凍りつき、固まるから、その内側の筋肉が自由に、必要な動きができなくなってかたまってしまうのだ。

だから、筋肉よりもまずは皮膚の緊張を取ることが重要となる。

皮膚の緊張は温めること、肌触りが心地よいと感じるものに触れることで緩むそうだ。

皮膚、筋肉を通して感じられるセラピーでの人の手のあたたかさが、心理的なあたたかさにもなりえるし、普通の受容と傾聴のカウンセリングや診療で感じる心理的なあたたかさが身体の緊張をほぐすこともある。

どちらのルートでも人が癒されてゆくことを私は不思議に感じていたが、それは物理的なあたたかさも、心理的なあたたかさも、私たちには同じように感じられるからなのである。

ただ、解離や強いフラッシュバックがある人はどうしても自らで「語れない」部分がある。

解離している時やフラッシュバックをしている時は、自分でも明らかになっていない、わからないことがものすごく多いためだ。

その一番、あたたかさが必要だった「語れない」部分で安心や安全を感じたいのに、そこをうまく「語れない」からこそ、セラピストやカウンセラーも「わからない」ままなことが多い。

だからこそ、トラウマがある人は語りが基本のカウンセリングより、皮膚や筋肉から働きかけるセラピーの方が効果が早い傾向が強いのだろう。

 

私は、解離していたので(今もしてるけど)、よもや私に精神疾患があるなんて、彼に会うまで思いもしなかったし、全く気づかなかった。

彼に会って、なぜそれがひっくり返ってしまったのか。

それは、彼に触れられたからである。

彼は最初に会った時、私の二の腕に触れた。

私はとても変な、不思議な感じがした。それは強烈に私の中に残った。

当時の私は、まだ自分に接触恐怖があるということに自明的ではなかった。

けれども、触れられることに不快感をよく感じていたのは事実で、でも、彼に触れられた時は嫌ではなかったのである。

それが不思議で仕方がなかったのだ。

その二の腕は私がいつも痛い左の二の腕の、まさに痛いところなのである。

皮膚も筋肉も緊張で固まりまくっている部分。

そこに触れて、彼は「癒される」と言った。

なんじゃそりゃ、と当時の私は思ったが、今ならわかる。

間違いなく、あの瞬間は、彼ではなく、私が癒されていたのだ。

私は解離しているから、そのことに気づかなかった。

ただ不思議な感じとして記憶したのだ。

その後の私の大混乱ぶりはその「予期せぬソマティックなトラウマセラピー」によるものだったのだろう。

 

トラウマセラピーは当たり前だが、受けに行く人は、受けに行くぞと決めた段階で、ある程度の覚悟と準備をしている。

その覚悟と準備なきままに、それが偶然に起きてしまったらどうなるか想像してほしい。

一言で言えば暴走暴発である。

私は見事なまでに解離し、解離性遁走までして、完全にコントロールレスだった。

そして、そんな自分を全く理解できなかった。

同時に彼のことも全く理解できなかった。

だから、勉強したのだろう。

誰が何を言おうと、どれだけ支離滅裂に見えようと、気になることを片っ端から調べ続けた結果、3年かけて、私はやっと全ての謎を解いたのである。

彼との出来事は、私が経験した一番最初のセラピーだ。

転移も逆転移も甚だしい無茶苦茶なとんでもないセラピー。

でも、間違いなく私の人生を変えたセラピー。

彼は私にとって特別なセラピストだ。

私もできるなら、彼のセラピストになりたかったけれど、それは叶わなかった。

彼にとって特別なセラピストはどこか違うところにいるのだろう。

彼がそんなセラピストに会えることを私は静かにずっと願っていようと思う。

 

参考書籍

皮膚は「心」を持っていた! 山口創

身体のホームポジション 藤本靖