Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

エナクトメント再考

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知人夫妻の様子を、双方どちらからも聞くと、エナクトメントがよくわかった。

奥さんは旦那さんに対して、エナクトメントをしていた。

エナクトメントは、かつての自分の気持ちや、いまの自分の気持ちで自明的ではない感情を他者に起こさせるようにしてしまう行動だ。

無意識下で「わかってほしい」があるために起きてきてしまうようである。

投影性同一視もわかりやすい部類のエナクトメントといえるのだろう。

相手に投影性同一視する部分とは自分と解離している自分の一部分であるからである。

一方で、反復強迫は、かつての自分の気持ちを他者に起こさせるのではなく、自分自身に起こさせるようにしてしまう行動だ。

無意識下で「確かめたい、納得したい」があるために起きてしまうようである。

とてもすっきりした。

 

ただ、これらはどちらかにぱっきりと別れている場合もあれば、密接に関わってもいるような場合もあるように思う。

私が彼に対して、どちらだったのか、という話になると、どちらもあるような気がするからである。

そして、彼が私に対して、どちらだったのかを考えても、やはりどちらもあるような気がするのだ。

単純ではないなあ…入り組んでいるなあ…と思う。

ただ、いずれにせよ、とにかく、無意識はなんとかしたくてたまらないのだな、というらしいことは確かである。

人間は精神も肉体も、常にバランスを取ろうとすることをベースに構造が作られている生き物のようだ。すごいなあ。

 

そういえば、長く書いていたアメブロを全て消してしまった。

なんか、もういいか…と思ったのである。

 

更にそういえば、ほぼ同年代であろう女性の解離性障害の人のブログを見つけ、読んでいた。

ハンドルネームと、書いてある珍しいことが気になったので、想像できる本名と珍しいことを検索したら、Instagramまでわかり、ああ、こういう人なんだなあ、こういう生活なんだなあ、とただただ眺めていた。

私のそこまでやる性格が怖いのか、インターネットが怖いのか、どちらかなのかわからない。どちらもだろう。

でも、私は彼女のInstagramをフォローもしないし、ただそれだけで、もう見ることもないだろうし、邪悪な気持ちは全くない。

なんというか、いろんな人がいて、いろんな人生があるんだなということだけを深く感じとった。

で、私の人生も、ブログも、誰かから見れば、そう見えてんだろうなあという事実をものすごく不思議に、変な感じに思った。

だから、自分のブログを消してしまったのかな。

 

更に更にそういえば、ふたりの友人たちが東京に遊びに来て、二日間、一緒に遊んだ。

みんなでサニーデイサービスの野音ライブに行った。

私はサニーデイサービスのライブは19年ぶりだった。

19年間私はなにをしていたのだっけなあ…と考えこんでしまった。

なんだか何にも浮かんでこない。

履歴書的な、自伝的事実は想起されるが、そこに私はどのような思いを感じていたかはまるでわからないのだ。

本当に浦島太郎のようだ。

友達たちは2001年、などというと、すぐさま当時のドラマやらニュースやらゴシップやらを話しだし、懐かしむことができる。

私はまず、なにが何年に起きたかが、まるでわからない。

友達たちは時間軸という直線に沿って記憶を並べているから、連なりを引き出すことができるわけである。

私は時間軸がない。出来事や事件などの記憶はあるが、水玉模様のようにぽこぽこ散らばっているため、連なっていない。

それぞれは別々の何かなのである。

1年後の私は1年前の私を覚えているだろうか。

私はどうにも自信がない。

というか実際に今、考えてみたが、1年前の私を私は全く想起できない。

ああ、だからブログはやっぱり必要なんだな。

思い出せなくなるから、私は書いているのではないだろうか。

私はなんで消してしまったんだろ、私の3年間のブログを。

 

一体なんなんだろうなあ。

私は人格は変わってないんだけど、記憶もあるんだけど、なんかすごい勢いで感情だけが揮発してしまって、大抵、何が何だかよくわからないのである。

いやいや、あなた、それが解離なんですよ、ということはわかるのだが、それがわかっても、私がわからないことをわかることには繋がらず、わかるとわからないがずーっと遠くに離れたままである。

試しに困ったなあと口にしてみるが、口にしてみると、本当に困っているのかもわからないなということに気付く。

困ってないのかな。うーむ。

でも困ってなければ気にしないよなあ。私は私がなにを感じているのか、本当によくわからない。

実に不思議である。

 

それにしても夜のメロディはいい曲だ。

どこか浮遊感のある曲は、曽我部の基本的にバーントシェンナ色の声とよく合って独特なドリーミーさを醸し出す。

そして、曽我部の母音は「あ」の音が赤色が強く、「い」の音がひまわり色が強いから、それがアクセントになりながらグラデーションで綺麗なんだ。

そして手触りはギャッベのような質感だ。少し引っかかりがあるんだけれど、それが温かみとなっている。

いつまでも、少し手のひらで撫でながら、それに座っていたくなる特別なグラデーションのギャッベ、そんな声だ。