Journal de la Rive Droite 右岸通信

物理的には私は右岸にいる 精神的には左岸にいる これは右岸と左岸に解離している私の通信記録

無題

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朝倉彫塑館へ行った。ねこ展が開催されていたから。
朝倉文夫はたくさんの猫と暮らし、たくさんの猫の作品を作った。
全てのものは儚い。
人間も、動物も、その暮らしも、命も、時間も、何もかも。
そんな儚さに対して、人ができることはそれぞれ違うのだろう。
朝倉文夫はそれにしっかりと向き合い、作品として残した、私はそう思った。
儚い、そんな一瞬をそのままの形で、できるだけ。
愛猫たちの像は、彼のその鋭い洞察と触感の記憶との結晶なのである。
頭の形、背中の骨と丸み、しなやかな尻尾、柔軟な皮膚とその下の筋肉。
なんども撫でたであろうそれらが見事に再現された像たちはあちこちで今にも動き出しそうだった。
全てのものは儚い。
儚いけれども力強い。猫たちの躍動感も、朝倉文夫の技術も。
そして、そんな儚くも力強いエネルギーとエネルギーが重なった時の素晴らしさを私はどう表現したらいいのかわからない。
料理だって、ライブだって、恋愛だって、セラピーだって、仕組みは同じなのである。
二度とはない全てのことを思う時、私はなんという世界に生きているのだろうと圧倒されてしまう。
そして、かつての私が、どれだけのことに、時間に、人に、傲慢だったかを思い知らされるのである。
完璧にはできない。多くのことはできない。
けれども、できることをできるだけ。
私にできることはそれだけなのである。